今日は前回の続きです。占星術のお話ですね。
前回は、わたしのホロスコープで「月」が8ハウスにあること、そのことがわたしの性の問題に関わっていることをお話しました。
https://mirror.room-of-rico.net/watashijishin-no-tsuki/
そして、前回も少し触れましたが、わたしの「太陽」も同様に8ハウスに位置しています。
つまり、「太陽」と「月」が合のアスペクトを形成している、別の言い方をすれば、「新月になっている」わけです。
このことについて、何か生死を超えた特別な意味があるのではないかと、マドモアゼル・愛先生の月理論に触れてからずっと考えてきました。
そして、最近、その答えが見えてきたような気がします。
8月の下旬に、愛先生の「月」についてのオンラインセミナーを視聴していたのですが、視聴者の学びの場として「銀河塾」というFacebookのグループが出来ています。
わたしも視聴者のひとりとして、グループでのやりとりを拝見させていただいているのですが、皆さん、自らの「月」について熱心に学ばれています。そして、わたしもそのやりとりで非常に学ぶものがありました。
どなたかが触れられていましたが、8ハウスの本質は、「逃れようのないほど緊密な人間関係」にあります。
そして、その濃密な人間関係から、遺産相続、配偶者の財産、セックス、運命論的な考えなどという事象が導き出されます。
前回、私が「月」によって、幻影のような性的な執着にとらわれていたことをお話いたしました。そして、それが私を苦しめていたこと、それにようやく気が付いたことをお話しました。
一方で、わたしのホロスコープで「太陽」も同じ8ハウスに位置しています。このことの固有の意味は何なのだろうかと考えました。
「太陽」は栄光や最高の生きがいを求める心だと理解しています。そして、それが性的なものに基づいているとは、わたしの場合、どうしても考えられませんでした。
そこで、さらに思い出したことがありました。
以前、Youtubeの動画で愛先生が「『月』は『かに座』の支配星だが、実は『かに座』的なものに見せかけて、正反対の『やぎ座』的なものにとらわれるように、わたしたちを欺き、陥れようとする存在である」というようなことをおっしゃっているのを思い出しました。
つまり、「月」はわたしたちをこの世的なもの、物質的なものに縛り付けようとするのです。一方で「太陽」は、精神的・あの世的なものと深く関連しており、わたしたちに生命エネルギーをもたらすものです。
また、先生は神話のイザナギ(男神・太陽神)、イザナミ(女神・月の神)の例を出して、「『太陽』は生み出すもの、『月』は奪うもの」ともおっしゃっていました。「月」は「太陽」の生命エネルギーを吸収してしまうのです。
肉体的・性的なとらわれというのは、まさに、この世的・物質的なものです。わたしは、「月」のまやかしにより、「太陽」の生命エネルギーを奪われていたのです。
しかし、わたしは「月」のことを学ぶ前からすでに、「太陽」を「月」の手から半ば取り戻していました。わたしの内なるパートナーである璃子を取り戻したことによって。わたしにとって、「太陽」の8ハウスは、内なる存在である彼女と親密な関係になることだと思っています。
また、わたしの「太陽」の獲得は、璃子を取り戻すことにとどまりません。彼女の先には、もっと大きな存在がいるのだと思います。それは、「真我」ともいえるし、「内なる宇宙」ともいえる存在。全創造世界の根源ともいえる存在。
わたしは、その大きな存在のことをもっと知りたい、もっと探求したいと思っています。幸いなことに、わたしは今、情報があふれる世界に生きています。インターネットや図書館や本屋に先哲の言葉が数限りなく眠っています。わたしは、そのような真理という「遺産」を好きなだけ相続することができます。それがわたしにとっての「『太陽』の8ハウス」のもう一つの意味だと思っています。
そして、真理の遺産について、皆様にシェアすることを考えています。近いうちに、別にブログを立てて、真理について語ってみたいと思っています。
ちなみに、璃子との物語をテーマに小説を書いたことがあります。こちらもご覧いただければ嬉しいです。
https://mirror.room-of-rico.net/1-manatsu-no-reitetsu/
朗読劇にしたものもあります。
それでは、また。