8.自分の最愛の人は自分自身?

ある春の日、私は数か月前にテレビドラマで見たワンシーンを

思い出していました。

 

そのシーンは『下町ロケット』の何気ないある場面です。

町工場の経営者である主人公佃(阿部寛)が人工心臓弁の開発で

苦戦していた場面だったと思います。

ビジネス上の同志である、帝国重工の財前(吉川晃司)が、

社内で支援できないか、会社の先輩に相談していたシーンです。

先輩は、

「申し訳ないが、うちは無理だな…」と言いました。

そして、こう続けました。

「それなら作っちまったらどうだい?そのほうが手っ取り早い。」

 

そのセリフは、私に次のように問いかけているように思えました。

「理想の相手がいない?それなら作っちまったらどうだい?」

 

「ん…!?どういうこと?」

疑問に思った次の瞬間、私の考えは、

すぐさま次のように展開しました。

 

1.理想のキャラクター(異性)をイメージする。

2.そのキャラクターを自分自身で表現する。演じる。

3.そのキャラクターに恋する。

 

言い換えれば、意図的に自己の意識を二分し、

二重人格となりコミュニケーションをするということです。

 

一見、荒唐無稽なことのようにも思えますが、

その時の私には、あながち無茶な話だとは思えませんでした。

私は何かの本で「潜在意識の世界では真実と嘘の区別はない」ということを

読んでいました。

「深層心理の世界では、架空の人格とリアルな人格のコミュニケーションには

区別がないはず。ならば、自分で架空の人格を演じ、自分自身の潜在意識に

その言動や振る舞いを刷り込めばいい」と考えました。

 

ところが、当時のメモにはこう記されています。

「キャラクターは自己の欲望の投影である。

また、限界を打ち破ってくれる存在でもあるかもしれない。

しかし、恐ろしい。今求めているのは劇薬なのかもしれない。」

 

奇抜なことを想いついてしまった私ですが、

自らの考えにある種の恐怖を覚えていたのも確かです。

 

実際に「行動」に出たのは、この半年後でした。

それまでは、上手くいかないながらも婚活を続けるのでした。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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