21. 「世界の終わる場所へ」 小説『レイト・サマー』第10章(中編)-あるオートガイネフィリアの物語-

 私にとっては晴れの旅たちとも言ってよかったが、天気について言えば、それとは裏腹であった。空は重々しい雲に覆われ、昼前にもかかわらず夕方のような薄暗さであった。安全のために車のフォグランプをつけなければならないほどであった。

 車は国道263号線を南へ進み、市街地から次第に深い山路に入って行った。標高が上がるにつれて建物はまばらになり、天を突くような杉の森が目立つようになって行った。

そして、長いトンネルを抜けて佐賀県側に出たあたりでやや道幅のせまい側道に入った。乗用車がやっとすれ違うことができる幅しかないこの道が目的地へ通じる唯一の道だった。

道はまるで外部の者の侵入を拒むように曲がりくねった勾配が続いていた。九州の山間部で平家の落人伝説が残されているところがいくつもあるが、このような峻険な狭隘地が源氏の追手から身を隠すのに都合がよかったのかもしれない。

きつい勾配が幾重にも立ちはだかっていた。私は車のアクセルを一層深く踏むと、エンジンはうなりを上げた。私は孤独なマラソンランナーのようなこの車を応援したい気持ちになった。あと少し、あと少しだ。私をあの場所へ連れて行ってくれ、と。

しばらく鬱蒼とした森の山道を進むと、突然視界が広がった。山間の集落に出た。

上から見下ろすとまるで古代ギリシアの円形劇場のように棚田が山に沿って扇形に広がり、中心を流れる清流とともに、階段のように集落の中心に迫っていた。棚田に囲まれた集落の中心にはいくらか民家が集まっていた。また、棚田の反対側は草原が広がり、放牧された牛たちが草を食んでいた。

佐賀県背振郡一番ケ瀬村申ヶ谷地区。それがこの地に与えられた名前であった。人口193人。住民の約7割は高齢者で、見捨てられた空き家も多い。いわゆる限界集落だった。私は棚田の中心を走る道を下り、集落の中心に出た。中心と行っても大きな農家がいくつか建ち並ぶだけで、散歩中の老婆が二、三人いる以外には人影はない。私は集落で唯一の簡易郵便局の角を曲がり、来たのとは反対側の山の裾野の方に向かった。平尾弁護士が紹介してくれた山崎製材所へ行くためだった。

集落の中心から車一台がやっと通れる農道を1キロほど進むと、すぐに製材所に着いた。森がすぐ背後の迫る敷地には加工を待つ杉や檜の原木が所狭しと野積みされていた。敷地の一番奥にあるトタン屋根の古ぼけた建物が作業場のようだった。作業場の一面は壁がなく、巨大な丸鋸の音と舞い上がる粉塵が外に漏れ出るままとなっていた。作業場のすぐ脇にログハウスのような小さな事務所があった。入口には丸太を縦にスライスした大きな看板が掲げられており、そこには墨で大きく「山崎製材所」と書かれてあった。

私は車を止めて事務所へ向かった。事務所のドアを開けて中を覗いてみたが、二、三個のデスクが並んでいるだけで、中には誰もいなかった。しかし、機械が木を切る音はしていたので誰かが近くにいることは間違いなかった。そこで、そのまま作業場の方を振り返ってみると、二、三人の作業者がそれぞれの仕事をしていた。

「こんにちは」と私は大きな声で彼らに呼びかけてみた。すると中肉中背のランニングシャツを着た作業者が私に気付き、タオルで汗をぬぐいながら私の方に近づいて来た。

「ああ、あんたが桐野さんかい?こがん山奥によう来んさった。平尾先生から電話があったけん、待っとたですよ」と彼は言った。彼はここの社長の山崎さんだった。広い額と短髪の白髪が年齢を物語っていたが、肌艶が良く、健康的な印象を受けた。おそらく実年齢よりも若く見られることが多いのだろうと思った。

「突然お邪魔してすみません」と私は山崎社長に言った。

「よかよか。あんたが来られたのは、山ん中の屋敷のことでやろ?」と彼は言った。平尾弁護士が山荘の法律上の管理人ではあったが、実際の管理は現地に住む旧知の山崎社長に依頼していたのだった。山崎社長は時折山荘を見に行ったり、場合によっては、周囲の除草作業をしたりしていたので、現地のことには誰よりも詳しかった。

「そうです。父から相続したので実際に家を見に来ました」と私は言った。「道を教えていただければ、勝手に現場に行きます」

「いや、そいは止めとったたほうがよか。ここ数日、雨がちやったけん、道がぬかるんで普通の車で行くとは難しか。うちの車ば出すけん、乗っていかれたらよか」と社長は言うと、作業ズボンのポケットから古ぼけた携帯電話を取り出して、誰かに電話を掛け始めた。そして、電話の相手に我々がいるところへ来るように大きな声で指示をした。

 数分後、一台の旧式のジムニーが我々のもとへやって来た。色はカーキ色で、タイヤは大きくゴツゴツとしていた。まるで軍用ジープのようだった。車が我々の前で止まると、中からトレッキングの服装をした一人の男が降りてきた。男はまるで山崎社長をそのまま20歳くらい若くしたような風貌だった。体型は彼とほぼ同じで、髪がまだまだ黒々としていた。

「息子にあんたば山ん中の家まで連れていくごて言うたけん、車に乗ってください」と社長は言った。

「初めまして、息子の一郎です。私が桐野さんを現地までお連れいたします」と彼は言って、私に車に乗るように促した。私は山崎親子の提案どおり、車に乗せてもらうことにした。

私を乗せた車はゆっくりと走り出し、製材所前の農道を更に山の方進んだ。

「ここがあまりにも田舎なので驚かれたでしょう?」と運転席の一郎さんは隣に座る私に言った。

「ええ、正直に言えば少し驚いています。でも、いい風景ですね。一面に棚田が広がっていて」と私は彼に言った。

「この辺は、『日本の山村百選』かなんだかに選ばれていて、写真家の間では結構有名なんですよ。もう少しすると田んぼの脇に彼岸花が咲いて、すごくきれいになるんですよ」と一郎さんは言った。

「ほう、そうなんですか?そのうち見てみたいな」と私は彼に言った。

車はやがて舗装されていない側道に入り、山の中へ分け入り始めた。先へ進むと道の起伏は徐々に激しくなり、車上の私と一郎さんは上下に揺さぶられた。

 車はつづら折りの急峻で凹凸の激しい坂道を登って行った。社長が言っていたとおり、道の各所はぬかるんでいた。私が乗って来たレンタカーならすでに立ち往生していたことだろう。この道は四駆のオフロード車でなければ進むのは無理だった。彼がこの車に乗ることを勧めたことの意味を私はここでようやく理解した。

 さらに車はぬかるんだ坂道を進み、崖沿いの細い道に出た。道にはガードレールはなく、一歩踏み外せば数百メートル下の谷に堕ちるしかなかった。私は山荘に続く道がこれほどの悪路だとは予想していなかった。幼い日に一度父の車に乗せられて来ているはずなのだが、このような風景は全く記憶になかった。車の運転がそれほど得意でなかった父がここを無事に通っていることは不思議としか言いようがなかった。

 崖沿いの道をしばらく進んだところで車は突然止まった。

「これは、まいったな」と一郎さんは前を見ながら言った。「梅雨入り前には道が繋がっていたんですけどね。多分7月の大雨のせいで崩れたんだと思います」

彼と同じように前方を見ると、道が数十メートル程崩落し、山肌が露わになっていた。これ以上車で進むのは無理であった。

私は呆然とした。これ以上前に進むのは確かに不可能だ。しかし、私はあの場所へ戻らなければならないのだ。ここであきらめるわけにはいかなかった。

「他に道はないのですか?」私は思わず一郎さんに問いかけた。

「無くはないです」と一郎さんは言った。「でも、結構回り道になる。少し大変ですよ」

「構いません。とにかく行ってみたいんです」と私は言った。

「分りました。それでは行ってみましょう」と一郎さんは言った。

 我々は後方の少し広くなっているところに車を止めて外に出た。外は空気がひんやりとしていて、小雨が降り出していた。ここからは歩いて山荘まで向わなければならないようだった。一郎さんは車のトランクからストックを二組取り出した。

「ここから先はこれを使ったほうがいい。うちの家内ので申し訳ありませんが、これを使ってください」と一郎さんは言いながら、二組あるストックのうちの一組を私に差し出した。

「これが、必要なんですか?」と私は少し驚きながら彼に尋ねた。

「ええ、かなり険しい道ですから。ここから少し戻ったところから、獣道のような登山道が山の中を通っています。そこを登って行けば目的地のすぐそばに出ることができるはずです。大丈夫ですよ。私は趣味の山登りで何度も通っています。安心してください」と一郎さんは私を励ますように言った。私の不安な表情を読み取ってそう言ったのだった。

「それで、どれぐらい時間がかかるんですか」と私は一郎さんに聞いてみた。

「そうですね、上手くいけば二時間くらいかな?」と一郎さんは答えた。

「二時間!?」と私は驚きながら言った。

 私は、やれやれ、と言いたい気持ちになった。一応山登りの服装だけは整えていたのだが、本格的な登山をすることになるとは全く予想していなかった。

「さあ、先を急ぎましょう。のんびりしてると帰りが夜になってしまう」と一郎さんは出発を促した。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、性多様性研究家、クロスドレッサー、元グラフィックデザイナー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。 それと、猫やコツメカワウソの動画を見て、ホッコリするのが好き。

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