20. 「故郷」 小説『レイト・サマー』第10章(前編)-あるオートガイネフィリアの物語-

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 二日後、私は早朝の飛行機で福岡に向かった。無論、それは麻里子と再び出会うためだった。

 福岡空港の国内線ターミナルから外に出ると、湿気を多分に含んだ生暖かい空気が私を包んだ。空は重々しい雲に覆われており、いつ雨が降ってもおかしくない空模様だった。

私はすぐに、予約していたレンタカー会社のサービスカウンターで車を借りた。この旅は電車では不便だと思ったからだ。車は青色のデミオであった。車種に特別なこだわりは無かったが、この「世界」での最後になるかもしれない旅の伴侶として申し分なかった。

 私は車とともに空港通りを太博通りへ抜け、さらに昭和通りへ出た。時間はすでに九時台であったため、通勤ラッシュを過ぎていたようだった。道の両脇にはオフィスビルが立ち並び、あちこちでスーツ姿の営業マンたちが通りを歩いていた。今にも雨が降り出しそうな雲行きだったからか、彼らの多くは傘を手にしていた。

 私は前方を行く西鉄バスを追走しながら、私の過去のことを思い返していた。

 私はこの街の近郊の裕福な家庭に生まれ育った。父親は地元の有力な不動産開発会社の経営者であった。ただし、会社を興して大きく育てたのは先代の祖父だった。その祖父には男子がなかった。彼は後継者がいないことを憂い、死の間際に彼の娘婿だった銀行員の父に事業を託したのだった。

 辣腕化であった祖父とは違い、父親は数字には厳格であったものの、社員を束ねる力を致命的に欠いていた。祖父の事業を継いだ父親は、会社での祖父の側近だった役員たちとの重圧と軋轢から、次第に気難しい性格になっていった。

そのため、家庭では些細なことで母や私に対して激昂した。幼い私に手を出すこともしばしばだった。

私は三十数年前の夏休みにある山荘で一夏を過ごした。この山荘こそが、私が麻里子と過ごしたあの部屋がある家であった。私が化粧のまねごとをして父親にひどくぶたれた場所もまさにこの部屋だった。

内心女性を軽蔑していた父親にとって、息子がそのようなことをしているのは受け入れがたいことであったのかもしれない。しかし、父親の反応は息子に対するそれとしては明らかに度を超していた。私は父親に叩かれた後、食事も与えられずに真っ暗な物置小屋に丸一日監禁された。そして、もうこのようなことは二度といたしません、と父親の前で誓わされた。この一件は、終生消えない私の心の傷となった。

しかし、それでも私の言葉にならない衝動は治まることがなかった。この衝動は私の中の麻里子を求める声だったに違いなかった。しかし、子供の頃の私にとって、それは説明のできない自らの恐ろしい異常性でしかなかった。このようなものを心に孕んだ私は家庭の中で異質な存在であった。思春期を迎えると、いつしか私は息の詰まるような父親の家を出たいと願うようになった。父親は私を地元の国立大学に進学させるつもりであったが、私は東京の私立大学に進みたいと願い出た。生まれて初めてのわがままだった。始めは強硬に反対した父親だったが、最後には折れて東京への進学を認めてくれた。

その父親の運命も私が上京した3年後に暗転した。長引く不景気の影響で父親の会社は資金繰りに窮するようになっていたが、ついに取引銀行が事業資金の融資をしなくなったのである。

父親は自らの会社を守るために資金繰りに奔走した。冷たい言葉を浴びながら、親戚や友人に金を無心して回った。ときには、高利貸のような連中にも頭を下げた。それでも転落は避けられなかった。次に父親を襲ったのは部下の造反だった。祖父の代からの番頭だった専務が、祖父の株式を相続した祖母と伯母たちを懐柔したのだった。父親は会社を存続の危機に追い落とした戦犯として、社長の地位だけではなく、役員としての地位をも奪われた。

父親は母とまだ少年だった弟とともに路頭に迷った。五十を過ぎて経営者失格の烙印を押された男にできることは少なかった。彼には、これまで築いた財産を切り売りしながら、慣れない清掃員や警備員などのアルバイトで日々をしのぐ以外に道はなかった。

その父親も三年前にこの世を去った。母親もその後を追うようにその半年後に死んだ。相続財産として、弟には父母が建てた家が、私にはかつて一夏を過ごした山荘が残された。裕福だった頃に手に入れたいくつも不動産を次々に手放していった彼が、なぜ、あの山荘だけを手放さず、それを遺言で私に相続させたのか分らない。正直なところ、処分も難しい幽霊屋敷みたいなところを相続してしまったと思い、私は迷惑すら感じていた。

しかし、麻里子との出会いを経て、あの家を相続したことは私の運命だと思った。もしかしたら、父親はどこかの時点で幼い私にしてしまったことを後悔していたのかもしれない。

あれこれと考えているうちに、車は大濠公園付近に差し掛かった。私はコインパーキングを探してそこに車を止めた。目的の場所はここから歩いてすぐのところにあった。私は大通りから少し奥まった場所にあるビルの二階を訪ねた。ドアの表札には、「平尾法律事務所」と銘打ってあった。

「こんにちは」と私はドアをあけながら挨拶をした。

 テニスコートの半面くらいの広さの事務所の中では、数名の事務員がデスクで山積みの書類を相手にそれぞれの仕事をしていた。奥の大きな執務机に座っていた白髪の大柄な弁護士が私の方を見ていた。

「吉彦君。待っていたよ」とその弁護士は言った。

「お忙しいところ、急に連絡してすみません」と私は応答した。

 ここは平尾弁護士の個人事務所であった。彼は父の古くからの友人で、父が会社を経営していた頃はその顧問弁護士であった。私のことも幼少時代から知っていた。

「よく来てくれたね。奥の間で話そうか」と彼は執務机の横にある応接間に案内した。

 事務所の中では平尾弁護士も事務員も全員スーツや事務服姿であった。私だけが黄色のマウンテンパーカーと黒のトレッキングパンツの登山姿であり、明らかに場違いであった。

「すみません、こんな格好で」と私は服装のことをことわった。

「なあに、構わないさ。うちはいろんな依頼人が来るからね」と平尾弁護士は言った。

 私は、彼に勧められるままに、応接間の黒皮のソファーに腰かけた。応接間は書庫も兼ねているらしく、黒い背表紙の『現行法法規総覧』が本棚にずらりと並べられていた。我々が席につくと、程なく女性事務員がお茶を差し出し、すぐに退出した。

「それにしても、久しぶりだね」と平尾弁護士は言った。

「はい、母の葬儀以来ですから、二年半ぶりです」と私は言った。

「それにしても、君が連絡をくれたときは、正直ほっとしたよ。ようやく、きちんとしたかたちで相続してくれる気になってくれたね。これで遺言執行者として肩の荷が下りるよ」と彼は言った。

「これまで、はっきりとご返事をせずにすみませんでした」と私はこれまで父の相続手続を滞らせたことを詫びた。

「いや、実は君に少し同情しているんだよ。あの別荘を処分するのは正直大変だよ。築年数が随分経っているので相当傷みが激しい。それに、一番の問題は立地だ。未だに、なぜ生前の桐野君があんな場所の物件を買ったのか私にはよくわからないんだよ。彼の不動産を見る目は確かだった。なのに、なぜ、あそこなんだ、ってね。この辺で言えば、糸島あたりなら話は分かるが、あそこはあまりにも辺鄙すぎる」と平尾弁護士は言った。

「それでもいいんです。僕にとっては、あの場所にあのままあることに意味があるのです」と私は言った。

 私の口調がつい強くなってしまったからか、平尾弁護士は驚いた表情でしばらく黙って私を見ていた。そして、穏やかな表情で話を続けた。「それは、何か君なりの考えがあるんだろうね。それに、君がそこまで言うのならそれは余程のことだろう。どんな考えであれ、私は君の考えを受け入れるよ。今までと同じようにね。申し訳ない。余計なことを言って」

 彼は常に私の理解者であった。昔、彼はよく私と父の間に立ち、私の立場を弁護してくれた。彼の仲立ちに私はどれだけ助けらたかわからない。私は彼に父親からを得られなかった優しさを感じていた。そのような彼の言葉が私の心に染みた。

「ありがとうございます」と私は感謝の言葉を言った。何についての感謝なのか自分でも分らなかった。今の発言を認めてくれたことなのか、それとも、これまでいつも私の数少ない理解者であったことについてなのか。そして、これが彼との今生の別れになるかもしれないと思うと胸が痛んだ。

 私は名残を惜しみながら、しばらくの間、彼との昔話を噛みしめていた。

 

 その後、山荘の相続手続について簡単な説明を受け、名義変更の委任状にサインと押印をした。そして、山荘の鍵を受け取った。

「君の親父さんは、あれだけの借金を抱えながら自己破産だけはしなかった。あの別荘を手放して破産してしまえば楽になったかもしれなかったが、彼は決してそれをしなかった。大したものだよ。おそらく、彼なりに譲れない理由があったのだろうね」と平尾弁護士は言った。

「ええ、多分そうなのだと思います」と私は言った。今なら父親の仮託を素直に受け入れてもいいと思ったからだった。

「別荘の場所は、ここからずっと南の、佐賀県側の山奥になる。とにかく、慣れないと行き難い場所にあるから地元の人に行き方を尋ねたほうがいい。村に着いたら、山崎製材所というところを訪ねてみなさい。私が連絡しておくから」と平尾弁護士が言って簡単な地図を描いて私に手渡した。

「いろいろとありがとうございます」と私は感謝を述べた。

「元気でな。そのうち、また会おう」と平尾弁護士は別れの言葉を言った。

「それでは、また」と私も彼の言葉に応じた。

 私は、平尾弁護士の事務所を後にした。

 

 後は目的の場所に向けて出発するだけだった。しかし、まだ一つだけ心残りに思うことがあった。私は再び車に乗り込むと、携帯を取り出してある番号に掛けた。それはひまわりクリニックの電話番号だった。夏木医師はすでに旅立った後であったが、私が話したかったのは、娘のほうだった。もしかしたら、彼女はまだクリニックにいるのかもしれないと思い、何度となく電話をしていたのだった。

この電話で五回目だった。これで出なければ、あきらめるつもりであった。

 三回の呼び出し音の後に誰かが電話に出た。自分でかけておきながら、私は少し驚いた。

「もしもし」と私は電話の相手に呼びかけた。

 しばらく沈黙が続いた。返事はなかった。

「もしもし」と私は再び呼びかけたが、やはり返事はなかった。私はとにかく電話の向こうの相手に語りかけてみようと思った。

「美和子ちゃんだろ?気分はどう?何度か電話したんだけど、ようやく出てくれたね。今は話す気分じゃないなら、ただ聞いてくれるだけでも構わない。最後にもう一度だけ冒険を共にした君と話をしたかったんだ。君の大切な人があんなかたちで亡くなってしまって、僕もどういっていいかわからない。僕なんかに君の心の痛みがわかるとはとても言えないけど、できればずっと君の近くにで寄り添っていたかった。でも、君の母さんに話したとおり、僕はどうしても行かなければならない。だから、今ここで、ちゃんとしたかたちでさよならを言わせてほしい」

 私はしばらく私の言葉を相手が受け止めるのを待った。

「行かないで」と相手は消え入りそうな声で沈黙を破った。

「できればそうしたいけど…。ごめん」と私は言った。

「もう嫌なの」と電話の向こう側の女の子は言った。「私の大切な人がいなくなるのはもう嫌なの。金崎のおじ様が死んでしまって、母とも別れて暮らすことになった。そして、大切なお友達のあなたまで…。もう耐えられない。私をひとりにしないで」

 彼女の「大切なお友達」という言葉が私の胸に響いた。

「必ず戻ってくるよ」と私は彼女に言った。この場ではこう言うしかなかった。

「えっ、本当に?」

「ああ、そうだよ」

「いつ戻るの?」

「やるべきことをやったらすぐにだよ。夏休みに田舎に帰るようなものだよ。そんな大したことじゃない。戻ってきたら必ず会いに行くよ」

「約束よ。きっと会いに来て」

「わかってるよ。僕が戻ったらどこかへ一緒に行こう。こんどは、変な組織の秘密の場所以外にね。ディズニーランドなんかどうだい?」

「私それほど子供じゃないわよ」と彼女は怒ったふりをした。声には少しだけ明るさが戻っていた。

 その後しばらく、私たちは組織の施設で過ごしたときのことを思い出話のように語り合った。つい数日前のことがまるで遠い昔のことのように思えた。そして、彼女にしばしの別れを告げて電話を切った。

 彼女との話を終えた後も、「行かないで」という彼女の言葉がいつまでも私の脳裏から離れなかった。私は彼女のもとに戻らねばならなかった。たとえ、私がどうなっていても、また、新たな世界で彼女がどういう境遇にいても、私は戻らねばならなかった。私はそう約束したのだ。

 私はイグニッションボタンを押して車のエンジンを掛けた。心残りは何もない。後はあの場所へ行くだけだった。私は車を静かに駐車場から発進させて先ほど来た道に出た。私は車を走らせて南の山脈の方へ向かった。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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