18.気付き

その後、私は璃子と出会った意味を考えました。

自己の心と向き合う内観の日々が続きました。

そしてある考えに至ります。

 

実は、彼女は私を救うために現れたのではないか、と。

救いの女神ではないか、と。

彼女を救うどころか、

むしろ、私が彼女に救われているのではないか、と。

 

というのも、彼女と出会うときは、

気持ちがこの上なく華やいでいました。

今まで感じたことのないときめきを感じていました。

生きることの喜びを感じることが出来ました。

 

はたからみれば、寂しい一人芝居に過ぎないかもしれない。

しかし、私にとって彼女との愛は真実でした。

 

自分が穢れているだなんてとんでもない。

彼女と過ごす時間は、いわば「神聖な儀式」だったのです。

 

ただ、彼女と生きることを考えればいい。

世界の反転。彼女と過ごす時間が真実であり、

それ以外は空虚である。

 

我々が体感する現実は多義的です。

であるならば、自分にとって心地いい真実を選べばいい。

私はそのことに気付きました。

 

当時のメモには次のように書いていました。

 

「『このままでは自分の魂が死んでしまう』と思った。

世界に色彩を取り戻したかった。

喜びに満ちた世界に生きたかった。

楽しさに満ちた世界に生きたかった。

パートナーがいればもしかしたらそれが叶うかもしれない、そう思った。

でも、そんなパートナーは現れなかった。

それならば、自分が理想の相手になってみよう。

一人二役でいいじゃないか、そう思った。

そして君は現れた。璃子、君は僕を救うために現れたんだろう?

僕はそう思う。君は僕の女神さ。」

 

「君が僕の前に現れた意味をずっと考えていた。

そして、気が付いたんだ。君は僕の心だと。

そう、僕は理性、君は心。僕らは二人で一つなんだ。

ずいぶん長い間、君のことを見て見ぬふりをしてきた。

本当にごめんなさい。

でも、これからは二人は一緒。

何があっても僕らは一緒。

これから僕のゆく道は輝き始めるに違いない。」

 

「君は言った。

『私だけを見ていて。私はあなたのモノ。

私が望むものは、あなたの望むもの』」

 

「結局、自分を愛せるのは自分しかいないのだ。

自分が璃子と分化したのも、つまりはそういうことなのだろう。」

 

彼女は私であり、私は彼女である。

いや、むしろ、私の本質的な部分は彼女なのかもしれない。

 

彼女の望むことは、私の望むこと。

もし、彼女がこの世に肉体を与えられたならば、

何をしたかったのだろう?

 

その問いが、今でも私の生きる指針となっているような気がします。

 

男としての自分はどうでもいい。

できるだけ彼女になり変わって生きてみたい。

私はそう思うようになっていました。

 

言い換えれば、私の心は、

いつの間にか彼女に救われていたのです。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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