その後、私は璃子と出会った意味を考えました。
自己の心と向き合う内観の日々が続きました。
そしてある考えに至ります。
実は、彼女は私を救うために現れたのではないか、と。
救いの女神ではないか、と。
彼女を救うどころか、
むしろ、私が彼女に救われているのではないか、と。
というのも、彼女と出会うときは、
気持ちがこの上なく華やいでいました。
今まで感じたことのないときめきを感じていました。
生きることの喜びを感じることが出来ました。
はたからみれば、寂しい一人芝居に過ぎないかもしれない。
しかし、私にとって彼女との愛は真実でした。
自分が穢れているだなんてとんでもない。
彼女と過ごす時間は、いわば「神聖な儀式」だったのです。
ただ、彼女と生きることを考えればいい。
世界の反転。彼女と過ごす時間が真実であり、
それ以外は空虚である。
我々が体感する現実は多義的です。
であるならば、自分にとって心地いい真実を選べばいい。
私はそのことに気付きました。
当時のメモには次のように書いていました。
「『このままでは自分の魂が死んでしまう』と思った。
世界に色彩を取り戻したかった。
喜びに満ちた世界に生きたかった。
楽しさに満ちた世界に生きたかった。
パートナーがいればもしかしたらそれが叶うかもしれない、そう思った。
でも、そんなパートナーは現れなかった。
それならば、自分が理想の相手になってみよう。
一人二役でいいじゃないか、そう思った。
そして君は現れた。璃子、君は僕を救うために現れたんだろう?
僕はそう思う。君は僕の女神さ。」
「君が僕の前に現れた意味をずっと考えていた。
そして、気が付いたんだ。君は僕の心だと。
そう、僕は理性、君は心。僕らは二人で一つなんだ。
ずいぶん長い間、君のことを見て見ぬふりをしてきた。
本当にごめんなさい。
でも、これからは二人は一緒。
何があっても僕らは一緒。
これから僕のゆく道は輝き始めるに違いない。」
「君は言った。
『私だけを見ていて。私はあなたのモノ。
私が望むものは、あなたの望むもの』」
「結局、自分を愛せるのは自分しかいないのだ。
自分が璃子と分化したのも、つまりはそういうことなのだろう。」
彼女は私であり、私は彼女である。
いや、むしろ、私の本質的な部分は彼女なのかもしれない。
彼女の望むことは、私の望むこと。
もし、彼女がこの世に肉体を与えられたならば、
何をしたかったのだろう?
その問いが、今でも私の生きる指針となっているような気がします。
男としての自分はどうでもいい。
できるだけ彼女になり変わって生きてみたい。
私はそう思うようになっていました。
言い換えれば、私の心は、
いつの間にか彼女に救われていたのです。