14. 「老人」 小説『レイト・サマー』第7章(前編)-あるオートガイネフィリアの物語-

 

 そのとき、部屋の内線用電話機が鳴った。

 「もしもし、金崎ですが」と冷静に戻った博士が電話に出た。「分りました。彼を連れてすぐに向かいます」

 博士の話の内容からすると、私に呼び出しがかかったらしい。

「桐野さん、申し訳ありませんが、これから総裁、つまりこの組織のトップに会っていただけますでしょうか?彼が是が非でも直接お会いしたいということですので。もちろん、私もご一緒いたします。ご心配には及びません。面会は形式的なものです。あなたのことは私に一任するように了解を取り付けておりますから」と博士は私に言った。

「仕方ありませんね。今の私には選択権はないようですから」と私は博士に答えた。

「私もご一緒させていただきます。ここまで桐野さんと一緒に来たんですから」と女の子は言った。

「いいや、美和子ちゃんはここで休んでいなさい。すぐに戻るから」と博士は突き放すように女の子の同行を断った。

 女の子は黙って頷いた。

 私は博士が女の子に掛けた声に穏やかではないものを感じた。もしかしたら、これから向かう場所はかなり危険な場所かもしれないと思った。いや、この施設全体が危険な場所であった。私は避難場所で一時の休息を取っていたに過ぎなかったのだ。

「それでは、参りましょう」と博士は私に同行を促した。

我々はエレベータで再び地下に降りた。今度は降りたのは地下一階だった。このとき始めて分かったことだが、私が監禁されていたのは地下二階で、ここは別のフロアだった。我々はすぐ左の廊下を奥に進んだ。

程なく、セキュリティドアに突き当たった。博士は自分のIDカードをかざし、パスワードを入力して施錠を解除した。

「ここから先は、一部の者しか入れないスペースです。この組織の中枢とも言える場所です」と博士は言った。

 我々は更にドアの向こう側に進んだ。

「当財団のことは力石君から何か聞かされましたか?」と博士は廊下を進みながら言った。

「いいえ、ほとんど何も」と私は答えた。

「当財団は、名称からお分かりになるかと思いますが、元々は明治時代に難病の研究のためにある財閥一族が私財を投じて設立したものです。私はここに奉職して25年になるが、私が入った当時は社会貢献を目指すまっとうな組織でした」と博士は言った。

「『夢見の技術』の研究は昔から行われていたのですか?」と私は言った。

「それは私が入ってすぐに研究が開始されたものです。当時、精神衛生や脳神経の研究は組織の中でも傍流で、『夢見の技術』はその中でも、私が現総裁と夏木ともに他の研究の気晴らし程度に行うような、細々としたものでした。事情が変わったのは、10年程前に現総裁が今の地位に就任してからです。これまでに信じられないくらいの多額の予算と人員が投じられました。そして、3年前に重大な欠陥はあるものの、今の形になったとういうわけです」

「『夢見の技術』がなぜそこまで重要視されるようになったのですか?」

「その方針転換はすべては総裁の一存によるものですが、彼の真のねらいは私たちにも分らないのです。ひとつ確かに言えることは、ある時を境に現総裁の考えが変わったということです。元々、この研究プロジェクトは、あるゲームソフト開発会社から持ちかけられたものでした。先ほども申し上げたとおり、発足当初は、当時研究主任だった現総裁も含めて、私たちは息抜きのつもりで牧歌的に研究を進めていました。しかし、総裁に就任する直前あたりから現総裁の研究態度が変わりました。まるで人が変わったみたいに。そして、これまで背を向けていた組織内の政治活動も実に熱心にやるようになりました。その結果、彼は組織の実権を握るようになりました。その後、当組織は物騒な連中がしきりに出入りするような危険な団体になってしまいました」

「博士が入られた頃と全く体質が異なる団体になってしまったということですね。ところで、ここを辞めようとは思わなかったのですか?」

「研究プロジェクトが始まってしばらくすると、この技術はあらゆる精神疾患の治療に応用できるという可能性があることが判明しました。私にも研究者としての功名心があった。途中で辞めてしまっては、これまでの成果を大成することができなくなる。どうしても辞めるわけにはいかなかった。ですが、今となってはそれが正しかったのかは分りません」

 我々の会話がひとしきり終わるとともに、部屋の入り口らしい場所にたどり着いた。入口のドアにはパスワードロックがかかっており、表札に小さく「総裁室」と銘打ってあった。

「さあ、どうぞ中へ」と博士はロックを解除し、私に部屋の中に入るよう促した。

 部屋は不自然な程の奥行きがあった。床には赤絨毯が敷かれ、中央に煩雑なデコレーションが施されたテーブルとソファーが置かれている。天井には大きなシャンデリアが輝いていた。また、壁にはギリシアの神殿のような丸みのある柱が並び、その間には古典主義時代の端正な容姿の登場人物が描かれた絵画がいつくも掛けられており、間接照明で照らされていた。この部屋は執務室というより、まるでどこかの王族の謁見の間だ。部屋の奥の高台に置かれた重厚な机と椅子のみが、ここが研究組織の代表者の執務室だと感じさせた。しかしながら、その主はここには居なかった。

 部屋の中をよく見回すと、部屋の手前側の隅に、さらにドアがあった。

「こちらです」博士はさらに奥の方へと私を導いた。

 私の身の回りを蒸し暑さが包んだ。ここは浴室のようだった。だたし、浴室にしてはひどく広かった。その中央には円い柱で支えられた円い大理石の湯舟があり、噴水のようにお湯が噴出していた。そして、その周囲に白く美しい男女の彫刻が集っていた。まるでローマ風呂のようだった。私は、博士に案内されるまま、随所に置かれた観葉植物を横目に見ながらさらに奥に進んだ。

 数十メートル先の広間の前で、博士は足を止めた。

「金崎君か?」と奥に居る誰かが言った。

 声がする方を見ると、痩せこけた小柄な老人が全裸でベッドの上にうつ伏せになりながら私たちの方を見ていた。老人は長く乱れた白い髪と髭を生やし、まるで仙人のように超然としており、その鋭い眼光で我々の方を睨んでいた。また、寝転がった彼の背中を下着姿の女がアロマオイルでマッサージしていた。そして、彼らのすぐそばには、身長が2メートル近くもある、黒スーツとサングラスの屈強な二人のガードマンが無表情で立っていた。

「桐野様をお連れしました」と博士は応答した。

「ご苦労だった」と老人は言った。「君が桐野君かね。彼から話は聞いているよ」

「初めまして」と私は手短に挨拶をした。

「我々が開発した例の『夢見の技術』では、残念ながら、通常の人間は数回で廃人同然となる。にもかかわらず、君は十数回の夢見を経ても至って正常とのことだね。結構なことだ。被験者として大変興味深い」と老人は女にマッサージを続けさせながら言った。

 女がマッサージの手を老人の股間に回して、彼の耳元で何かをささやいた。

「そっちの方は後でな」と老人は女に答えた。

「総裁、桐野様とお話がされたいとのことでしたが?」と博士は老人に言った。

「話は、君にもある、まあ、少し話そう」と老人はベッドからゆっくりと起きながら言った。

 ベッドから起き上がった老人は、女にバスローブを着せられ、そばにあるソファーに腰かけた。女は我々に一礼するとすぐさま立ち去った。

「金崎君、われわれの開発技術に欠陥が見つかってからどれぐらいになる?」と老人はボディーガードが差し出したミネラルウオーターを飲みながら言った。

「もうすぐ3年になります」と博士は答えた。

「ずいぶんな時間が経ったね。にもかかわらず、未だに問題解決の糸口すら見つからない。そうだな?」と老人は言った。

「はい、残念ながら。しかし、彼を調べれば、必ずや手掛かりは見つかると信じております」と博士は言った。

「私もそのように考えていた。だからこそ、力石君たちに彼を連れてくるよう指示をしていた。しかしだ」と老人は言った。「この技術にどれだけの価値があるのかね」

「と言いますと?」と博士は怪訝そうな表情で言った。

「この技術は所詮、人に好き勝手な夢を見せているに過ぎん。たしかに、関心を持つ筋がいくらでもいる。しかし、その連中に技術提供をしたとしても、我々は見返りにはした金を受け取るだけだ。それ以上の旨味はない」と老人は言った。

「しかし、この技術はあらゆる精神疾患の治療に応用できる可能性があります」と博士は反論した。

「可能性の話ではないか?しかもこの二十数年間、可能性の域を出ていない。人の意識作用は極めて複雑で、夢と異常心理の因果関係はそう簡単に客観的な解明ができるわけではない」と老人は言った。

「総裁、しかし…」と博士は言い淀んだ。

「私は今が潮時だと思う。この開発プロジェクトは終了だ」と老人は静かに言った。

「待ってください、総裁。急に何を仰るのですか?実用化までもう一歩のところまで来ているのですよ。ここで開発から撤退したら、すべてが水の泡です。お願いです、お考え直しを」と博士は懇願した。

「これはもうすでに決めたことだ。それともう一つ言っておきたいことがある」老人は博士に通告した。「夏木君とそこにいる桐野君の身柄は私が預からせてもらう」

「総裁、彼らの処遇も含めて、この件は私に一任されたではありませんか」と博士は言った。

「たしかに任せたが、それは君が彼らを適切に始末するという条件付きのつもりで任せたのだ。私に無断で二人を釈放しようとするなら話は別だ」と老人は言った。「適切に始末する」とは、言うまでもなく、私と夏木医師が無事に帰れないことを意味していた。

「なぜ、それを?」と博士は驚きの表情で言った。

「当たり前だ。ここは私の組織だ。私が知らないことは何一つない。騙しおおせるとでも思ったのかね?はっきり言って、君には失望したよ。」と老人は博士を見ながら言った。

 老人の合図により、ボディーガードの一人が博士の腕を背中に回してしっかりと掴んだ。そして、もう一人が博士の下半身を抱きかかえた。博士は完全に身動きが取れない状態になった。

「何のつもりだ!やめろ!離せ!」と博士は激しく身をよじらせながら絶叫した。

「君はこれまでだ」と老人は静かに言った。

 ボディーガードたちは、激しく抵抗する博士を抱きかかえるように持ちあげた。浴場には博士の叫び声だけがむなしく響いた。そして彼らは暴れる博士を連れて浴場の外に消えた。

「馬鹿な男だ」と老人は呟いた。

 その直後に、ボディーガードが消えていった方向からパーン、パーンと乾いた銃声が数回聞こえた。博士は死んだに違いなかった。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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