15. 「神の意志」 小説『レイト・サマー』第7章(後編)-あるオートガイネフィリアの物語-

 この場所には、老人と私だけが残された。

 この状況から察して、この老人は次に私を殺すに違いなかった。そう考えると全身に緊張感が漲った。体が小刻みに震えているのが自分でも分った。私は、突然に死の淵に投げ出されてしまったのだった。

「桐野君、君にも話がある」と老人は言った。

「僕に一体何の話があるというんだ?」と私は彼に尋ねた。

「私が、この『夢見の技術』のコアな部分は私が設計したのだが、その目的を話しておこうと思ってね。せめてもの冥途の土産だと思ってくれ」と老人は言った。

「昔、ゲーム会社から開発を持ちかけられたとかって博士は言っていたが?」と私は言った。

「そんなもの、表向きの理由に過ぎんよ。精神病に効くというのは必ずしも嘘ではないが、根拠の薄い妄言に近いものだ。それを真に受けおって。君たちは度し難い愚か者どもだ。ここではっきりと言っておこう。この技術を作った真の目的は、『世界を守るため』だ」

「『世界を守るため』?何を言ってるんだ?」

「私は、この『世界』というシステムをその崩壊からから守るためだと言っているのだ。君は知らなかったと思うが、この『世界』に属するすべての人間は、その意識の入力と出力を一つの大きなインターフェイスに託している。それが『世界』というものだ」

「何を馬鹿げたことを。あなたは、我々すべての脳がプラグで巨大コンピューターに繋がれているとでも言いたいのか?」

「必ずしもそうではない。君はくだらん映画の見すぎだ。私は比喩として『インターフェイス』と言ったまでだ。言い方が気になるのであれば、『共同幻想』とでも言えばいい。その呼び方はどうでもいい。本題に戻ろう。この『共同幻想』だが、人間どものほとんどはこれを唯一の現実だと信じて疑わない。ところが、中にはそうではない者もいる。彼らは、この世界が自分の属する世界ではないと疑いを抱えながら生きている。いわば、この『世界』の不適合者だ。彼らの中には精神疾患を患っている者も多い。彼らのほとんどは放っておいても問題とはならないが、極めて稀にこの『世界』の存立を脅かすものが現れる」

「つまり、不適合者を一切出さないことが『世界を守る』ということになると言いたいのか?」

「それはその通りだ。それができるに越したことはない。しかし、それは現実には不可能だ。君には理解できないかもしれんが、私はこれまで幾度となく、『世界』を再建してきた。毎回完璧な『世界』を創造しているはずだが、君らのような不適合者を皆無にできた試しがない。私が完全な『世界』を提供しているにもかかわらず、君たちのように受け入れようとしないものが必ず現れるのだ。そして、その中の誰かが必ずといっていいほど私の作った『世界』のシステムに修復不可能なエラーを起こして破壊してしまう。私はこの問題について長い時間をかけて考えたが、これは確率的に避けることは出来ないという結論に至った。そこで、私は別のアプローチを考えた。不適合者が『世界』に疑問を抱くのは、『世界』に受け入れられていない感覚があるからだ、と。それならば、彼らが完全に受け入れられる世界を夢で見せてやればいい、現実と変わらないレベルで。そして、彼らをあえてこの『世界』から隔離して管理すればよいと」

「それが『夢見の技術』だと?」

「そうだ」と老人は私の目を見ながら断言した。

 私は、これまで堪えていた笑いを吹き出してしまった。これでは年寄りの妄言ではないか。

「ははは、笑わせないでくれ、あんた神様にでもなったつもりか?」と私は笑いながら老人に言った。

「私は真面目に話している。この『世界』は私が創造したものだ。その防衛について話して何がおかしい?」と老人は表情を変えずに言った。

「はあ、あんた正気か?」と私は言った。

「何度も言わせるな。私は真面目だ。私を神と呼ぼうが、仏と呼ぼうが構わない。とにかく、この『世界』の創造者は私だ。お前たちはただの被造物に過ぎん」と老人は言った。

「そんなことは、とてもじゃないが信じられないよ」と私は老人のいうことを拒絶した。

「ならば、これを言えば信じてもらえるかね?」と老人は不気味な笑みを浮かべながら言った。「君は夢の中で麻里子という女と何度も会っていたね」

これまで、夢の中の出来事は誰にも言ったことがなかった。当然、夏木医師にも金崎博士にも言っていない。これは決して誰にも言ってはならないものだと自覚していたからだ。麻里子は私の心の中にいる存在であり、それを誰にも話していない以上、私以外が知っていることはあり得ないはずだった。しかし、現に目の前の老人はその名前を知っていた。私は驚きと混乱のあまり、尻の穴から魂が抜けたようにその場凍り付いたようになった。

「しかも、君はその麻里子とそっくりの姿になって、言葉にするのも憚られるような行為を繰り返していたね。違うか?」と老人は私の夢の中の出来事について更に暴露を続けた。

「なぜ、それを」と言って私は絶句した。なぜ老人が私の秘密を詳細に知っているのか理由が分らなかった。私の混乱はやがて恐怖へと変わっていった。私はその感情に気がおかしくなりそうだった。

老人は私を嘲笑するようにさらに続けた。「よくもまあ、あんな淫らなことを。誰も見ていないとでも思ったのか?君は実に恥知らずな奴だ。何なら、ここでその詳細を私の口から審らかにしてもいいんだぞ」

「やめろ!それ以上何も言うな!」と私は叫んだ。

「先ほど金崎君にも言ったが、改めて君にも言おう。私が知らないことは何一つないのだ。なぜならここは私の『世界』だからだ。君の意識の中であろうと外であろうと。これで少しは私のいうことは信じる気になってくれたかな?」

 私は彼が神であることを認めざるを得なかった。認めたくはなかったが、そうでなければ、誰も知らないはずの私の記憶を知っていることが説明できなかった。

 しばらくして、老人は再び口を開いた。

「ようやく理解したようだな。君が理解してくれたところで改めて言おう。君にはこの『世界』から消えてもらう。そして夏木君にも消えてもらう」

「消える?」

「そうだ。この『世界』から絶対的に消滅してもらう」

「なぜ、我々が消されなければならないんだ?」

「問題は麻里子だよ。君が逢瀬を重ねた」

「夢の中で私が何をしようと勝手ではないか?麻里子に会うのと、私たちが消されるのと何の関係があるというんだ?」

「彼女は君とともに新たな世界を築く存在だ。たしかに、君は一度彼女を拒絶した。だが、このまま私が捨て置けば、遅かれ早かれ君は再び彼女と会おうとするだろう。夏木君の協力を得ながら。君と麻里子は新たな世界の鍵と錠のようなものだ。彼女と再会をすれば、必ずや君はこの『世界』を見捨てて、新たな世界を自らの意思で創り出そうとするだろう。しかし、それは絶対に認めるわけにはいかない。なぜなら、世界の創造は、新たな森羅万象の秩序の上書きにより、この『世界』を消滅させることを意味するのだ。この『世界』は私が生みの苦しみの末に作り上げたものだ。この『世界』の主として、何としてでもそれを阻止しなければならない」

「僕が麻里子と会うことと、我々が新たな世界を創造してこの『世界』が消えることに論理的な必然性はない。僕が夢の中で誰と会おうとあんたには関係ないじゃないか」

「たしかに、君の言う『論理的な必然性』はない。だが、必ずそうなる。断言してもいい。私の経験則からそう言えるのだ」

「経験則?」

「私が世界の創造を始めて以来、幾度となく、君らのような危険な不適合者が現れた。そして、すでに話したとおり、君らは例外なく私の『世界』を台無しにしてきた。私も君らのような下等な存在の暴走を相手にするのには少々辟易しているが、私の『世界』をこれ以上君らに消滅させされるのは我慢ならない。一時は『夢見の技術』で君たちの存続を容認しようと思ったが、その実現が難しい以上、結局は、危険因子を早期に見つけてしらみつぶしに消すしかないのだ。私に言わせれば、君らは癌細胞のようなものだ。早期に排除するに限る。気の毒だが観念したまえ。これは君が属するこの『世界』のためだと心得よ」

「ふざけるな!『世界』のためだと言われて納得なんかできるか!」と私は老人に憤りをぶつけた。

「だまれ!」と老人は一喝した。「お前など断固消してやる。私はお前ような奴を創造した覚えはない。一体お前は何者だ?どこから来たのだ?」

「俺は俺だ。お前が作った覚えがなくとも、現実にお前の意思とは無関係にここに存在しているんだ。所詮、お前の力などその程度だ!」と私は言った。そう言った途端私は自分自身の言葉に驚いた。これは本当に私の言葉なのだろうか?

「訳も分からぬくせにほざくな」と老人は言ったきり言葉が出なくなった。

 

 私と老人は無言のまましばらく睨みあった。

 やがて、人の足音が聞こえてきた。先ほどのボディーガードの一人が帰ってきたようだった。彼は再びこの浴場に入り、私と老人の下に近づいてきたのだった。

 殺される。私は自分の死を予感した。しかし、彼は恐怖で慄く私の横を素通りして老人にそばに進んだ。そして、老人の耳元で何やら囁いた。

 ボディーガードの耳打ちが終わると、老人は一瞬目を見開いたような表情をした。そして、険しい顔でしばらく目をつぶっていた。何かを考えている様子だった。

しばらくして、彼は口を開いた。「くだらんことをしおって。桐野君、もういい。君は帰りたまえ」

「えっ」と私は拍子抜けした。「どうゆうことだ?」

「どうもこうもない。帰っていいと言っているんだ。夏木君の娘と一緒に帰りたまえ。夏木君もすぐに釈放する」と老人は言い捨てるように言った。

「それでは、失礼させてもらいます」と私は言った。理由はわからないが、とにかくこの組織の最高権力者が釈放すると言っているのだ。こんなところに長居は無用である。

「ただし」と老人は附言した。「重ねて言うが、今後麻里子と会おうとすることは絶対に許さん。もし、会おうとするならば、未遂でも君と夏木君には消えてもらう。私の力をあなどるな。私に見えない所はないのだからな。そして、これは私だけの問題ではない。君が私の警告を無視して彼女に会い新たな世界の創造を望めば、この『世界』が滅びることを君に銘じておきたまえ。君の家族も、友人も、愛するものすべてが水泡のように消えてなくなるのだ。君の行動には、この『世界』とここに住む全生命の命運がかかっていると自覚せよ」

「わかった。麻里子には会わないよ」と私は答えた。本当はあきらめたくはなかった。しかし、夏木医師の命、さらに言えば『世界』の命運がかかっていると言われれば、もう会うわけには行かなかった。

「この男を早く外に出せ」老人はボディーガードに指示をした。そして、彼らは無言で私のそばに近づいてきた。もう、ここを出ろ、との合図だった。

 私は追い出されるように、この場を後にした。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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