わたしが自撮りする理由

みなさん、こんにちは。
今日はわたしの習慣みたいなことについてお話したいと思います。

実は、わたしが密かに続けていることがあります。
(といっても、とくに隠すべきことでもないですが。)

それは、事あるごとに自撮りをするということです。
↓こんな感じで。

でも、今まで「なんで、女装したときは自撮りをしたくなるのだろう?」と真剣に考えもしなかったのですが、今日、ふと、疑問に思いました。

それはなぜかはっきりとは言えないのですが、たぶん、女装したキャラクターである璃子を本当に愛しているからなんだと思います。

きちんとしたかたちでの恋愛経験も少なく、結婚もあきらめてしまった私が「愛している」というのも変な話ですが、おそらくそれが事実なのだろうと思います。

また、占星術の話になりますが、私は月がかに座の8室にあるため、本当の意味での男女の愛の駆け引きの醍醐味や異性を獲得する喜びは一生理解できないと思います。しかし、同じく太陽もかに座の8室にあり、その深い意味がきっとあるのだろうと思っています。

その意味については、まだ探求の途中ですが、おそらくは、この世的・物質的な世界を超えたところに、その答えがあるのだろうと思います。

ところで、女装して分かったことがひとつあります。それは恋愛しているときの女性のメンタリティーです。女性は男性に恋しているというか、恋に恋している、つまり、憧れの男性に愛されている自分に昂揚しているだと思います。

自分の身体を意識するときも、それを隈なく見るような、男性のような客観的な視点をどことなく持ち合わせているのではないかと思います。それは、たとえて言うなら「鏡」の視点ということになるでしょうか?

以前、オートガイネフィリアについてお話したことがあります。

私のオートガイネフィリア考(2)


実は、わたしも自己の身体を意識するときは、同じようなメンタリティーになっているようです。ですので、部分的には女性の心を持ち合わせていると言えます(もともと、すべての人は、心の中に女性性と男性性が共存しているのだそうですが、わたしの場合、女性性が優位にあるのかもしれません)。

このような発想は、非常識的かもしれませんが、既存の唯物論的な視点からは絶対に出てこないものです。これは、この世的・物質的な世界を超えたものであると言えなくもありません。

これが、占星術的な「太陽の獲得」なのかもしれません。フィクショナルな愛のかたちを求め、見出してしまう。これが、わたしの「愛」なのかもしれません。

璃子は、精神世界の入り口。その奥に私を魅了するすばらしい世界が待っている。そんな予感すらしています。

なんだか、大げさなことを書いてしまいましたが、この直感が正しいかどうか、時間をかけて検証してみたいと思います。

それではまた。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、性多様性研究家、クロスドレッサー、元グラフィックデザイナー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。 それと、猫やコツメカワウソの動画を見て、ホッコリするのが好き。

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