運気が良いのが本当に良いことか?

みなさん、こんにちは。今日はちょっと占いの専門的な話をします。

突然ですが、いわゆる「運のいい人」の条件とは何だと思いますか?

私の意見では、メンタルの強さと潜在意識のポジティブさ(引き寄せの強さ)だと思いますが、これを四柱推命的に言えば、「比劫」と「財星」が強い人ということになります。

これらの要素ばかり強くても、それはそれで、問題がある人格となってしまうのですが、これらが強いことは最低条件ですね。

例えば、企業するというような場合、いろんなトラブルが降ってかかるわけで、メンタルの強さがないと踏ん張って試行錯誤ができないですし、ネガティブな潜在意識だと、引き寄せが十分機能しません。

これら以外に「食神」という要素が強いとさらに良いですね。のんびりとおおらかな雰囲気が出て、人に愛されます。

逆に、強すぎると困るのが、「官殺」という要素ですね。この要素が強いとトラブル体質になってしまいます。仕事上のトラブルに巻き込まれたりとか、交通事故や刑事事件に巻き込まれやすくなってしまいます。

また、「傷官」という要素も強くない方が良いです。強いと人に対する評価が辛くなり、対人トラブルが増えます。

さらに、ほどほどなのがいいのが、「印綬」という要素ですね。程よく強いと知性的な雰囲気が出ますが、強すぎると保守的になってしまいます。

というのが、四柱推命的に言った運のいい人の条件になるのですが、私個人としては、運がいいことが果たしていいことなのだろうか、と思っています。

四柱推命とは、現実世界の願望達成の度合いやトラブルの少なさによって、運の良し悪しを語るツールだと思います。ですので、命式のバランスの良い人は、現実世界でどんどん成功していきます。物や財産といった物質面、或いは地位や名誉といった顕在的価値の面では。

そういう意味では、運のいい人にとって、人生は輝かしいものとなるでしょう?

しかしです。物質的な成功や栄誉といったものを得れば、「もっと欲しい」という気持ちになるもの。海水を飲めば飲むほど喉が渇くといったように。これらは更なる執着を生むといっても良いでしょう。必ずというわけでもありませんが、成功している間は、この執着から離れることが難しくなる可能性が高くなります。

仏教的に言えば、現世的な利益は「解脱」とは対局にあるものです。これらに縛られているうちは、輪廻転生の罠に気づき、抜け出そうと考えることはありません。この罠に気付かなければ、何回生まれ変わっても苦しみに満ちた娑婆世界を彷徨うことになるのです。

むしろ、現世的な利益から見放されている方が、輪廻転生の罠から抜け出す契機に近くなります。

そういう意味で、運が強いというのは、本当に恵まれたことになるのかな?と個人的には思うのです。

今回は、抹香臭い話になってしまいましたね。次回はもう少し明るい話をしたいと思います。

それでは、また。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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