性自認って何なんだろうね。

こんばんは。Ricoです。
今日もLGBT界隈の話を少々。

LGBTを語る場合に性自認、性指向、肉体の性別の3要素を考えなくてはならないと言いますが、最近思うのは、性自認って何なんだろうねっていうことです。

ところで、普段、普通に生活をしているときに「私は男だ」とか、「私は女だ」とか意識している人っているんでしょうかね?
少なくとも、私は意識していません。それはそうです。いちいち、「私は男としてご飯を食べる」とか、「私は女とし歯を磨く」とか考えていると疲れてしまいますから。

それでは、「私は男だ」とか、「私は女だ」とか意識するのはどういう場面でしょうか?
それは、トイレだとか、浴場だとか社会のルールをわきまえないといけないときでしょうね。

要するに何が言いたいのかというと、男か女かという性自認って、本当は存在しないんじゃないかっということです。肉体に基づく社会規範問題にならない限りではありますが。
(もちろん、性転換手術もしていない、戸籍の変更もしていない、自称”女子”が女子トイレに入っていいことにはならない、と考えていますので誤解しないでください。)

実は、性指向についてもどうなのかな?って思います。
私自身、もともとLGBTのB(バイセクシャル)の気はあったのですが、最近、性的は欲求がほとんど無くなってしまいました。
でも、かわいい女子を動画とかで見るといいな、とは思います。でも同時に、最近の若い男の子もいいなって思います。
要するに、男女問わず、可愛ければいいのかなと。
最後は肉体の性がいちばん確かな基準になりそうですが、それも、最近は性転換手術でなんとかなってしまうわけでして(もちろん、出産する能力は無理ですが)。

後は、極端な話、戸籍という法的な証拠しか残らないわけで、ここまでくると性別って、ただの書類上の観念なんですか、って言いたくなりますね。

結局、心の性別って何なんでしょうね。
近い将来、仮に、サイボーグとして男性型のボディーと女性型のボディーを自由に選べるようになったとしたら、心の性別ってどうなるんでしょうかね?

とりとめのない話ですみません。
性の観念が溶解してしまった、男女どっちつかずの者の独り言でした。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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