LGBT法案に物申す

皆さん、こんにちは。

これまで、個人的なスタンスとして、政治的な発言は控えておりましたが、今話題の「LGBT法案」について当事者の端くれ(正確には”「LGBTQ」の端くれ”ですが)としての意見を表明しておく必要があると思いコメントすることにしておりました。

先日、18日に提出された「LGBT法案」については、正直に申し上げると非常に当惑しております。この法律の必要性が全く理解できません。

たしかに、18日の自公の修正案では、「性自認」が「性同一性」に変更されてはいますが、トイレや公衆浴場における危険に全く対応できないと思います。「性同一性」を主張すれば身体異性のアクセス権が認められてしまうわけですので。

私が女装を始めてから今年で7年目になります。女装で外出するようになってからは4年になりますが、これまで一度も暴言や差別的な態度を取られたことはありません。むしろ、なんとなく優しいまなざしを受けているように思えていました。日本社会はあえて「LGBT」という標語を声高に掲げなくとも、昔から性多様性に寛容だったのではないかと思います。

私が属する女装の世界でいいましても、三橋順子さんの『女装と日本人』という著作を読んでいただければ分かるように、日本社会は男女どっちつかずの存在を容認する懐の深さを持っていたように思います。美容や整形について寛容な韓国でも、女装はしにくいと聞きます。日本ほど女装あるいは女性化に寛容な国は少ないのではないでしょうか?

今の「LGBT」ムーブメントを見ていると、SDGsに乗せられて、過大な権利主張をしているように思えます。

たしかに、今、堂々と同性愛をカミングアウトしたり、異性装をしたりできるのは、社会の無理解と戦ってきた先達たちのおかげ、といえる面はあるかもしれません。しかし、私たちが望んでいるのは共生です。決して、社会秩序を破壊することを望んでいるわけではありません。ただ、静かに自分らしく生きたいというだけです。

私自身、女子トイレに入ろうと思ったこともありません。入れないことが「不当な差別だ」と考えたこともありません。誰もが心理的に安心して入れる個室の「多目的トイレ」に入ればよいだけですから。国や地方公共団体も、トイレを強引にジェンダーレスにせずに、駅や空港の「多目的トイレ」を増やせばよいだけの話です。

この法案が通るとしたらと考えると、暗澹たる気持ちになります。

多くの人が、本来あるべき性文化を破壊し、人々に昆虫食を強制するような、SDGsの正体に気づくことを願ってやみません。

 

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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