今日は仏教的なお話を少ししたいと思います。
社会への適応性にやや問題があった子供時代の私ですが、
物覚えは良かったほうで、
そのせいで、勉強の成績は、そこそこ良かったです。
(今振り返ると、人生の明るさをたいして謳歌することもなく、
いびつな成長の仕方をしていたということですが。)
とはいえ、決して優秀というわけではありませんでした。
当時の日本の学校教育は、思考力よりも知識重視でしたので、
暗記ゲームを制すれば、優等生あつかいされました。
私は運よくゲームに勝ち続けたというに過ぎません。
そんな典型的な「私立文系型」だった私は、
御多分に漏れず、東京のある私立大学の文学部に進学します。
国立大学に進まなかったのは、思考力が必要な
理数系の科目で勝負したくなかったからでした。
私の「作戦」が功を奏し(?)
希望の大学に進学することができたのですが、
それまでの反動からか、
とても不勉強な学生になってしまいました。
講義よりも、趣味の音楽サークル活動や、
アルバイトを優先していました。
また、アルバイトの収入で専門書を買うわけでもなく、
友人との飲み代や、音楽活動に費やされました。
今思うと、本当にアホな学生でした。
遊び惚けていた私にも、そのツケを支払うときがやってきます。
それは、大学3年生の終わりぐらいから始まった、
就職活動の時期でした。
その当時は、とにかく就職が厳しい時代で、
何十社アプローチしても内定がとれませんでした。
冬が来ているにもかかわらず、何の努力もしなかった
キリギリス君には当然の報いだったかもしれません。
夏が近づき、周囲の友人たちが、次々と内定を取る中で、
ひとり結果が出ない私は、ひどく胃腸の調子が悪くなり、
家に引きこもりがちになってしまいます。
そこで、今まであまり本を読まなかった私は、
どういうわけか内省的な読書三昧の日々を送ります。
その中である大作を読みます。
それは、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作でした。
あらすじの説明は他のサイトにゆずり、
ここでは詳しくは書きませんが、
この作品は法律家の主人公と輪廻転生を繰り返す存在との物語です。
(第一部の『春の雪』はラブストーリーとして
映画化されていましたね。竹内結子が主演していたと思います。)
武士道に興味があった私は、その中の第二部『奔馬』に
以前から関心があったのですが、
最も印象に残ったのは、第三部の『暁の寺』でした。
その中に、輪廻転生の理論について
やたら詳しく解説されている部分があり、
ここが異彩を放っているようにも思えました。
(実際に『暁の寺』は「輪廻転生の教科書」との異名があるようです。)
書いていることは、とても難しいのですが、
我々の意識が無数の転生を繰り返す世界観は、
私にとってあり得ない話ではないように思えました。
むしろ、美しい一つのファンタジーのようにも思えました。
これは、幼少期に見えない世界の存在を感じる機会に
恵まれたせいだと思います。
就職活動で苦戦した私も、後に社会に出て、
多忙な日々を送ることになるのですが、
このとき感じた虚無感とも高揚感ともつかない思いを
いつも心に秘めていたようにも思います。