この頃の私の心境は複雑でした。
上手くいかない婚活を辞めてしまおうかと思う一方、
誰かがなんとなく恋しい。そんな日々でした。
愛に対する諦めと渇望の間で揺れ動いていました。
その当時の様子を次のようにメモしています。
「世の中手前勝手なことをいう人が多すぎる。
これでは話のまとめようがないじゃないか。
婚活なんてやめてしまうか?」
「ところで、自分はなぜだれかと一緒になりたいと思うのだろうか。
それは、『よりよく生きる』ためであると言える。
もし、だれかと一緒になることでよりよく生きられないとしたら、
一人でいきたほうがましかもしれない。」
「手ひどい拒絶。『相手を傷つけてしまったのか?だとしたら、
深く反省しなければならない。
しかし、おまえ自身の気持ちはどうなのか?』以上は心の声。
初めての心境だ。自分の気持ちがどうなのかとは。」
「だれと関係を持とうとすると収入の問題にぶちあたる。
どうやら、これが現実だ。あきらめてしまうか。
それでもそれなりに生きる道はある。
しかし、動き出した心は止められない。
もはや、我が心、石にあらず。」
「女の人生で配偶者はさほど重要ではない。
子供さえ居ればいいのだ。
配偶者は働き蜂のように幸せさえ運んでくれば済む。」
「婚活の継続にこれ以上のメリットはない。
自分の得たいものは、きっと得難いのだから。」
「結局、配偶者を求める行為は
すべて金銭の問題に還元されるべきものなのだろうか?
だとしたら、私はこれ以上関心が持てない。」
「一人で生きる決心をする時期が
すぐそこまで来ているのかもしれない。」
しかし、ここで、これまでの努力の甲斐あって、
定期的にメールのやりとりをしてくれる女性が現れました。
そのときの心境を次のようにメモしています。
「努力する女性は陰ながら助けたいという気持ちがあるのは確かだ。
この気持ちを軸にして関係を築くのは可能かもしれない。
それが自分の誠意なのかもしれない。
ある人に情が湧いてきた。がんばってもらいたい。」
一筋の光が見えてきたとき、季節は秋になっていました。