6.死にかけた心

前回は、夢破れて帰郷したことをお話しましたが、

その後、しばらく自宅療養のような生活をしていました。

 

私は当てもなく実家に帰って来たものの、

漠然とした不安を抱えながら日々を過ごしていました。

 

そんなある日、ある人から、

「田舎での就職先は限られている。生きるには何か武器が必要だ」と

アドバイスを受けました。

 

そして、何か難しい資格を取って独立開業しようと一念発起し、

ある法律系の資格を取ることにしました。

 

結局試験に合格するのに5年かかりましたが、

受験生活は今にして思うと苦行のようでした。

周囲の友人たちが豊かになり、温かな家庭を持っている中で、

自分だけが取り残されるような孤独と、

毎日10時間近く勉強しているのになかなか結果が出ないもどかしさと、

周囲の期待からくるプレッシャー(妄想かもしれませんが)とで、

精神を病んでしまいそうでした。

 

合格したときは、「うれしい」という感覚はもちろんあったのですが、

大学受験の時とは違い、「助かった」という感覚が強かったような気がします。

安堵感と開放感からつい泣いてしまったのを覚えています。

 

資格を携えてある事務所のスタッフとしてキャリアを再スタートしたのですが、

現実はシビアでした。人のことを悪くいうのは気が引けますが、

事務所の経営者である所長はかなり利己的な人物で

待遇は冷たいものでした。

正直、アルバイトをしたほうがましではないかとも思いました。

 

見習いの身分なので安い給料は百歩譲って我慢できましたが、

一番困ったのは、士業の世界独特の営業活動でした。

 

この業界はどの資格者も提供しているサービスは一緒なので差が付けにくいため、

酒の席での接待営業で客を取れと言われていました。

 

私はこういう営業活動はどうしても嫌でした。

所長の顧客から冷ややかな態度を取られ続けるのはこたえました。

なかにはあからさまに私を無視する人もいました。

 

このような人たちに頭を下げて仕事を貰う意味が全く理解できませんでした。

「なぜ、サービスの良し悪しで正々堂々と勝負しない」と

いつも思っていました。

 

結局、事務所の所長とは折り合いが悪くなり、1年ほどで退職しました。

所長には「そろそろ独り立ちをする」といって辞めたのですが、これは嘘でした。

私は長い受験生活と合格後の修行で完全に燃え尽きました。

もう誰とも関わりたくない、静かにひっそりと暮らしたい、そう思っていました。

 

私は事務所を退職後、派遣社員として働き始めました。

ここで隠れるように静かに生きるつもりでしたが、

私の身辺はすぐには落ち着きませでした。

今度は身内がトラブルを起こして家庭がめちゃくちゃになろうとしました。

このときも本当につらかったです。

事の性質上、誰にも相談できず、本当につらかった。

できれば死んでしまいたいと思うこともありました。

 

約1年程して、ようやく状況が落ち着きました。

しかし、心の傷が深かったせいか、

弱かった私の心は以前にも増して弱くなってしまったような気がしました。

もう何をするのも恐ろしい、そんな気がしていました。

 

そんな、あるとき、私は直観します。

「私の心は死にかけている」と。

 

そして、もう誰ともかかわらず、

一人で静かに生きたいと思いました。

 

しかし、その一方で誰かに私の苦しい心境をもらいたい、

私の心を癒してもらいたいとも思いました。

 

相反する心理が私の中でせめぎ合っていましたが、

いつしか誰かを求める気持ちが勝るようになっていました。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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