5.M先輩

私が大学を卒業するころは、就職氷河期でして、

希望する会社に就職するのは大変な時代でした。

 

それにもかかわらず、見通しの甘かった私は、

十分に就職活動の準備をしていませんでした。

 

そんな、私に内定をくれる会社は1社もありませんでした。

当然といえば当然です。

 

しかも、自分の父親が一時失踪し、

私自身も就職活動中の学生を相手にした

質の悪い自己啓発セミナーに騙されたりして、

大学を出たときには、就職先も決まっていない上に、

心の傷と奨学金の債務だけが残っていました。

この当時を振り返るのは今でも本当につらい。

 

そんな私でしたが、卒業後の6月に

ようやくある会社に就職することができました。

しかし、その会社には、いまいちなじめませんでした。

私はここで、自分が本当にやりたいことは何かを考えました。

そして、子供の頃からイラストを描いたり

レイアウトを考えたりすることが好きだったことを思い出し、

グラフィックデザインの世界に進みます。

 

私は、デザイン系の夜間の専門学校に行き直し、

イラストレーターやフォトショップの使い方をとりあえず覚えて、

あるデザイン事務所にアシスタントとして飛び込みます。

 

当時は「ブラック企業」という言葉すらない時代。

飛び込んだ事務所は2~3日徹夜というのが、

当たり前のようにありました。

 

そんなハードな世界でM先輩に出会いました。

 

M先輩は、私より10歳ぐらい年上の

ショートカットとメガネと関西弁がよく似合う、

とてもおしゃれで可愛らしい女性でした。

 

彼女はその小柄な外見とはうらはらに、

とてもタフだったのを覚えています。

デザインのセンスもピカイチでした。

 

前回お話したT先生と同様、

彼女もまた、私のあこがれの人でした。

 

私は、そんな彼女のアシスタントとなれたことを

とても誇りに思っていました。

彼女もまた、私に対して、

時には姉のように、時には母のように接してくれました。

 

私は彼女の思いやりに必死に答えようとし続けました。

私の事務所での評判も次第に上がってゆき、

一人前のデザイナーとして扱われるようになります。

 

しかし、調子にのっていた私は、

次第に彼女の仕事の進め方に不満を覚えることになり、

ついには、彼女の制作チームを離れることになります。

 

二度と戻れないということもろくに考えず、

自ら彼女の元を去ったのでした。

 

彼女の元を離れるとすぐに、

私は事務所の中で厄介者あつかいされるようになります。

私は、ここに来てようやく

今まで彼女が守ってくれていたことを理解します。

本当に私は愚かでした。

 

私はその後体調を崩し、逃げるように事務所をやめて、

着の身着のままで田舎に帰りました。

 

私は今でも事務所での苦い記憶と共に

M先輩と過ごした日々のことを思い出します。

 

デザインコンセプトについて、一緒に悩んでくれたこと。

入稿前に徹夜で仕事をして、

力尽きて、二人で寝っ転がっていたこと。

(しんどすぎてエッチなことはしていません。)

客先からの帰り道に喫茶店でスイーツを一緒に食べたこと。

 

今振り返ると、忙しいながらも、

彼女と一緒に仕事をしているのがとてもとても幸せでした。

私は彼女に恋していたのかもしれません。

 

もし、できることなら、

生きているうちに彼女ともう一度会いたい、

きちんとしたかたちで当時のことを謝りたい、

そして、当時の胸のうちをお話したい。

今日は、つい、そんなことを思いました。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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