5. 「麻里子」 小説『レイト・サマー』第2章(後編)-あるオートガイネフィリアの物語-

 目を開けると、夜の空気に包まれていた。

 私はどこかの部屋のベッドで横になっているらしかった。部屋といっても、さっきまでいた診察室ではなかった。どこかの寝室に居るようだった。私は目だけで辺りを見回してみた。シェード付きのランプが放つ弱い光が周囲を優しく照らしていた。かなり広い間取りの中に舶来物の瀟洒な家具がバランスよく配置されていた。窓は臙脂色のカーテン掛で覆われているが、かなり広いことが伺い知れた。天井を見上げると、私が横たわっているベッドは天蓋が優雅に膨らんでいた。どこかの避暑地にある別荘の一室―そういう形容がふさわしかった。そして、華美な装飾彫りの施された重厚なチェストの上に、一体の古びたテディーベアが飾られていた。

 私は、昔、以前この部屋で過ごしたことがあるように思えた。しかし、それがいつだったのか、また、ここがどこなのかよく思い出せなかった。ただ、漠然とした懐かしさだけが感じられた。

 次第に私の意識が明瞭になった。つい先ほどは、たしかに奇妙な女医に夢見の施術を受けていたのだが、ここでは夢を見ているのかどうか定かではなかった。夢にしては感覚がクリアすぎた。もしかしたら、眠っているうちに、どこかに連れて来られたのではないか、そんな気がした。

 私は起き上がろうとしたが、普段と体の感覚が何か異なるのに気づいた。シーツの肌触りからすると、裸にどうやらされているようだった。しかし、それだけでは説明できない感覚の違いがあった。つまり、シーツと触れて微かに擦れる私の肌は、滑らかさとキメの細やかさを増しているように感じられたのだった。それはまるで私の皮膚自体が絹に置き換わったような感覚だった。そして、微かではあるが体がいつもより熱っぽく重たかった。まるで、心が微熱を帯びた肉で覆われているような感じがした。そして、それはどことなく心地よいものだった。私は起き上がるのを止めて、寝起きのベッドの温もりをもうしばらく楽しむことにした。

 私はベッドに横たわりながら考えを巡らせたが、私が置かれた状況がまるで理解できなかった。私がいるのはどこなのか、また、私はいったいどうなってしまったのか、それらが全く分らなかった。ひとつ確かにに言えたのは、とりあえず危険な状態にはないということだった。そのような状況ならば、普通は手足をロープで縛られ、口はガムテープで塞がれ、もっとぞんざいに狭い空間に投げ出されているのが相場だ。私はそれなりに丁重に扱われているといって良さそうだった。

 しばらくするとドアが開く音がした。誰かが部屋に入ってきたようだった。私はベッドの反対側にある入口に目を向けた。そこには白いベビードール姿の一人の女が立っていた。彼女は、ウォータサーバーとグラスの載った銀のトレーを持っていた。

 手足はすらりと長く長身であった。また、鼻筋が通った落ち着きのある均整な顔立ちをしていた。大人の色気を漂わせた美女といってよかった。

「目が覚めたようね。のどが渇いたんじゃないかしら。お水を持ってきたわ」そういうと、女は私のほうへ近づいてきた。そして私の傍にある椅子に腰かけた。

 彼女の顔が近くに見えた。眉はきれいに整えられ、まつ毛が長く美しかった。間接照明により、瞳は静かな輝きを帯び、肌が滑らかなグラデーションをたたえていた。また、肩まである細く滑らかな髪からは芳醇なコロンの香りがした。

「君は?」と私は言った。

 言った直後、私は自分自身の声に驚いた。まるで女の声だ。

「ふふっ」と言いながら、彼女はいたずらな笑みを浮かべた。「麻里子よ。ようこそ私の世界へ。ここはあなたの望みが何でも叶う場所。私、あなたが眠っている間に魔法をかけたの。それはあなたが一番の望んでいたことじゃない?自分で確かめてみて」

 私はゆっくりと身を起こした。シーツが体から滑り落ちる。上から見下ろすと胸元が美しく膨らんでいる。滑らかな体には体毛がない。これは間違いなく女の体だった。私は一糸まとわぬ自らの姿に呆然とした。

「あなた、意外と反応が静かね。もっと喜ぶかと思ったけど。まぁ、今は実感が伴わないから仕方ないわね」と彼女は言った。そして、彼女は足を組み換えながら続けた。「もっとよく見たほうがいいんじゃない。さあ、ゆっくり立ってみて」

 彼女は私の手を取り、ベッドの脇の大きな姿見の方へ私を導いた。

「これは!」

 私は再び絶句した。全身が見える大きな姿見には、裸になった彼女が見えた。いや、そうではない。鏡に映っていたのは、彼女にそっくりな私自身の姿だった。私にはもう訳がわからなかった。

「気に入ってくれたかしら。あなたは今、私に戻ったのよ」

「君に戻った?」

「そうよ。ここではあなたは私、私はあなた。そして、私のものはすべてあなたのもの。ねえ、ほら、鏡をよく見て。あなたの思うがままにこの体の好きな個所を眺めていいのよ。触っていいのよ。」

 私は姿見の前で左右に体をひねったり、後ろを向いたりしながら、体の細部まで確認した。私の意思と無関係に現れたこの体は、まさしく私のものだった。そう解釈せざるをえなかった。私は理性による状況把握の裏で、抑えがたい感情に突き上げられていた。私はそれに耐えられそうになかった。

「これが君の体、いや、僕の体ということ?少し触ってもいいかな」と私は言った。

「もちろん」と麻里子は言った。

 彼女がそう言うや否や、私の手、すなわち、この女体の手がお腹から乳にかけて優しく撫で上げた。

「ああ」と私は声を漏らした。

「好きなだけ声をあげていいのよ。この世界にいるのは、あなたと私だけだから。そして、あなたの心は今、閉じ込められているの。この肉の温まりの中に」と彼女は私の背後でそう囁いた。鏡には、そっくりな顔がふたつ並んでいた。そして、その一方は苦悶とも快感ともつかない表情を浮かべ、他の一方は淫靡な笑みを浮かべていた。

「あなたの思っていることも手に取るように分るのよ。あなたは心の中でこう言っている。『私はあなたにすべてを捧げます…あなたにならどうされてもいい。雌猫のように扱われても構わない。だから、お願いだからこれ以上焦らさないで。私のことだけ愛して』ってね」

 彼女は私の体を隅々まで触れるか触れないかの指使いで撫で上げた。彼女の指に触れられることにより、私は自らの熱くなった体を感じることができた。私の体が甘い感覚に抗いながら小刻みに震えていた。

「ふふっ。抵抗しても無駄よ。今のあなたは淫らな女の子。この大きい胸は何?それに股間だって…。感じやすく、傷つきやすい。私はそんなあなたを深く愛しているわ。強く心を惹かれているの」と言って彼女は私の体をまさぐった。私は息苦しく悶えた。

「ああ…」

 私は何も考えられなくなった。ただ、波のように打ち寄せてくる感覚に身を委ねるしかなかった。

「本当はあなたも私が大好き。わかっているんだから。もっと欲しいんでしょ?欲しくて、欲しくて、仕方ないんでしょ?いいのよ。我慢しなくて」と言って彼女は私の股間に手を入れた。体に強い感覚が走る。

「あら、やだ。背中をのけ反らせてどうしたの?ふふっ」と彼女は意地悪く笑った。

 そして、彼女の指が私の敏感な場所を掻きまわした。私は大きなよがり声を出した。

「なんて声を出しているの。どう、気がおかしくなりそうでしょ」

 彼女から責め立てられ、やがて、私の体は激しく痙攣がし始めた。

「!!」

 私の意識が一瞬の空白に包まれた。しばしの沈黙。私は恍惚としていた。

 それから、彼女の濃厚な愛撫は、とめどなく続いた。そして、いつしか私は疲れ果てて、泥のような眠りに落ちていった。

 

 目が覚めた。目の前が真っ暗だった。顔が何かに覆われているようだった。私はヘッドホンとマスクをかぶせられたのを思い出した。私は身を起こしながら頭からそれらをはぎ取った。頭が露わになると顔に涼やかな空気が感じられた。眠っている間に、私の頭部は汗まみれになっていたようだった。

「お目覚めのようね。それにしてもすごい汗。悪夢にでもうなされていたの」

 目の前には夏木医師が座っていた。

「悪夢というわけでは…」と私は虚ろに答えた。

「ごめんなさいね、こうでもしないとあなたは施術を受けてくれそうになかったから」彼女は先ほどの非礼を詫びた。しかしながら、私は全く怒る気はしなかった。

「どうだったかしら、夢への旅は?」と彼女は言った。

「悪くはないです」と私は答えた。そう答えるのが精一杯だった。先ほどの不思議な体験を言葉を選びながら伝えたかったが、それをするには疲れ過ぎていた。

 私は甘美な余韻の中で呆然としていた。

「今日はゆっくり休んだほうがいいわ。感想を聞くのは、また今度ね。また夢を見たくなったらいつでもいらっしゃい。一度くれば常連さんだから、診察時間は気にしなくて大丈夫よ。土日もOKよ。常識的な時間ならね。」

 その後、私は丁重に挨拶をし、クリニックを後にした。街はすっかり夕闇に包まれていた。

 私は、しばらくの間、ここを訪れざるを得なくなる。そんな予感がした。

英語翻訳家、哲学・精神文化研究家、四柱推命・西洋占星術研究家、性多様性研究家、クロスドレッサー、元グラフィックデザイナー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。 それと、猫やコツメカワウソの動画を見て、ホッコリするのが好き。

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