前回、女性とのお付き合いと
縁遠いことをお話いたしましたが、
それでも、私の人間性に重要な影響を与えてくれた
女性たちとの出会いはありました。
彼女たちからの得たものは、とりもなおさず、
後にお話する「内なるパートナー」を
形作るものとなるものでした。
その中でも、その影響が大きかったのは、
当然ながら、一緒に暮らしていた母と祖母でした。
スピリチュアル的な意味では、祖母の存在が
とても大きかったのですが、
祖母との思い出は別の回にゆずり、
今回は、母親との関係についてお話したいと思います。
私が女装をして鏡を見ていると、
鏡の向こうにまるで若いころの母親を見ているような
錯覚を覚えることがよくあります。
女装は始める前までは気にも留めなかったのですが、
私は母親にどことなく似ているようです。
実際に母親から現実世界を生きる肉体を授かっていますので、
当然と言えば当然です。
それは、とりもなおさず、「内なるパートナー」に
差し出す身体がそうなっているということであり、
彼女の容姿は母親に負うところが大きいと言えます。
また、それとは別に、鏡の前の「女」を見ていると、
不思議と懐かしいという感覚が湧いてきます。
それは、私の最古の記憶の中にいる母親のイメージに
重なるかのようです。
私にはよく思い出すイメージがあります。
それは、私が3歳くらいの頃のものです。
春先のある雨の昼下がりの、
慎ましやかな集合住宅の一室。
そこで私は母親と一緒に昼寝をしていました。
とても静かで、温かく満ち足りた一時でした。
足すべきものは何一つない、完全な充足感。
そのただ中に私は居たのでした。
幼少期の私にとって母親はすべてでした。
また、私だけのものでした。
しかし、間もなくそのかけがえのない存在は、
新たに生まれる弟に取られてしまいます。
私は、私を包む大きな存在を
永遠に失ってしまいました。
今現在の老いた母親に
愛着を感じていないわけでは決してないのですが、
私たちの関係性は、あの時とは完全に異なっています。
精神分析学者のフロイトみたいなことを言って、
気が引けるのですが、
私が女性を意識するときは、
失ってしまった母へのイメージを
追い求めているのかもしれません。
また、それを取り戻すことは、
ある意味で人生の指針のようになっており、
無意識の領域で私を動かしているような気がします。
それは、私の帰るべき場所であり、
私は生涯をかけてそこへ帰る旅をしているのかもしれません。