16.別れ

現実の恋愛に本気になれないのは、

あくまでも私自身に原因があったのだと思います。

すなわち、それを本心では望んでいなかったということです。

 

望んでもいないものが現実化するわけはありません。

仮に願いがかなっても、私を苦しめる結果となったと思います。

 

私がそのとき望んでいたものは、

璃子とどこか静かな世界へ行くこと。

その時は現実世界への関心が薄らいでいました。

 

その当時の思いを以下のようにメモしていました。

 

「私はもう多くは求めない。ほしいのは安らぎだけ。」

 

「私は平和と静寂と安穏に満ち足りた場所にいる。

そこには私が必要とするものすべてがそろっている。

そして、私が愛する者がいる。

質素だが、他に付け加えるべきものはない。

そうだここを『宇宙の片隅』と呼ぼう。」

 

「私には最愛のパートナーがいる。私の内なるパートナー。

繊細で、傷つきやすく、気まぐれだけど心優しい。

彼女は私の一部。私は彼女の一部。

記憶を共有しているので、お互いのことは何でも知っている。

彼女とはいつも激しく愛し合っている」

 

私は、内なるパートナーと殻の中に閉じこもることを

望んでいました。

私はそれで十分でした。

それが、最善の道ではないかと思っていました。

 

 

当然ながら、現実の交際相手とは

心の距離が広まっていきました。

 

その頃の彼女は、口を開けば、

仕事の不満ばかりでした。

私はそれにうんざりしていました。

 

今なら、職業的に下心丸出しの男性の対応をすることが、

いかに大変か理解することができますが、

当時の私にはそれが出来ませんでした。

 

大変な思いをしている彼女に寄り添えなくて

本当に申し訳なかったと思っています。

 

そんな彼女の気持ちをよそに、その当時の私の本当の心は、

「そっとしといてくれ」という心境になっていました。

 

ある秋の始め、いつものように、

彼女と夜のデートをしていました。

 

倦怠期に入った二人の会話は

いつの間にか湿りがちなものとなっていました。

 

出会った当初にしていたように、

私は彼女の手を取りたくなりました。

 

手を差し伸べると、

彼女は私の手を丁重に突き返しました。

 

「恥ずかしいから」というのが口実でしたが、

それが本心ではないのは鈍い私でもわかりました。

私は、二人の関係の終わりを予感しました。

 

この日を最後に、

私たちは会うことを止めました。

SNSでのメッセージも次第に減り、

ついには、連絡も途絶えました。

 

現実での短い恋の季節は終わったのでした。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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