10. 「脱出」 小説『レイト・サマー』第5章(前編)-あるオートガイネフィリアの物語-

 

 私と女の子は備品庫のような地下室にいた。さほど広くない室内にスチール棚が整然と配置されており、棚の上は段ボールや薬品が入ったポリタンクがぎっしりと並べられていた。

私は、その一角の壁にむき出しになった鉄骨の柱にロープでくくり付けられている状態だった。車から降ろされた後も全身ロープだらけで相変わらず身動きは取れなかった。また、女の子もロープで足を縛られ、さらに手をスチール棚の柱に縛り付けられてぐったりとしていた。

我々を拉致した連中のうち、デブとフランケンが我々の見張りをしていた。彼らは、我々のすぐそばでスチール椅子に座り暇を持て余していた。デブは生あくびをしながらスマートフォンでゲームをしているようだった。フランケンはただ天井を見つめ、彫刻のように佇んでいた。

正確には分らなかったが、ここに監禁されて3時間ぐらいは経っていた。暗い地下室からは外の明るさは知るべくも無かったが、車での移動時間を考えると、たぶん朝方なのだろうと思った。車に乗せられてたどり着いたのがこの謎の施設だった。おそらく、ここが彼らの秘密の研究施設に違いなかった。この施設の外から見える部分はどう見ても廃工場だった。しかし、構内の奥まった棟にある秘密のエレベーター(セキュリティーが厳しく、外部の者は一切入ることができないようだった)から地下に入ると、最先端の研究施設が広がっていた。

場所の見当がつかなかったが、我々はこの施設の暗い地下の片隅で囚われているようであった。

 見張りの二人が何やら会話をしていた。

「おい、腹が減らないか?」とデブが言った。

「そうだな」とフランケンが答えた。

「そろそろ、飯にするか」とデブがフランケンに食事の提案をした。

「でも、見張りは?」とフランケンは言った。一応自分の任務を心得ているようだった。

「構うもんか、こいつらはどこにも行けやしないさ。それに小一時間俺たちがどこかに行ってもわかりゃしないさ。俺たちは安月給で長時間こき使われてるんだ。飯ぐらいまともに食わないとやってられないよ」とデブは答えた。

「いいよ。わかった。飯だ」と言って、フランケンはデブの提案に乗った。二人は我々を一瞥すると足早に部屋を出て行った。

 部屋には、私と女の子の二人が残された。

「僕が原因でこんなことに巻き込んでしまって、すまない」と私は彼女に謝った。

「ううん、いいの。こんなことになったのは、もとはと言えば、母が変な研究をしていたからよ。私たちの方こそ、あなたを巻き込んでしまったんだわ」と彼女は私に言った。

「ところで、顎鬚の男が言ってたことって本当かい?」と私は彼女に尋ねた。

「顎鬚の男が言ってたことって?」

「先生の施術を何度も受けて無事なのは僕だけってことさ」

「うん、そうよ、あなただけよ。普通の患者さんでも1回や2回なら問題ないけど、それ以上は精神状態が極端に悪くなるって母が言ってたわ。実は、あなたに3回目以降の施術をするか迷ってたみたいよ。でも、あなたは特別だって言ってたわ」

「特別って、どうゆうこと?」

「よくはわからないけど、世界を変える人かもしれないって言ってた」

「世界を変える?」

私は突拍子のないことを言われて少し驚いていた。私の力などたかが知れていた。私は決してキング牧師やジョン・レノンではなかった。世界の変革など到底無理だというのが正直なところだった。

それよりも、ここでは危機を逃れるのが先決だった。とは言え、我々は地下室で拘束され、手も足も動かせなかった。この状況では、時機を待つよりほか無かった。

「ねえ、さっき足音がしたわ。誰かが来る」と彼女の声がした。私の思考は遮られた。確かに物音がした。乾いた靴の音だった。靴の音はこちらに近づいてきた。しかも、その音はデブとフランケンのそれとは違っていた。靴の音は部屋の入り口で一旦止まり、ドアが開く音がした。音の主は室内に入ってきたようだ。そして、我々のすぐ傍に大きな人影が現れた。

 現れたのは、モヒカンだった。彼は立ったまま座り込んでいる女の子をしばらく見下ろしていた。そして、その場にしゃがみ込み、女の子の喉元に大きなサバイバルナイフを近づけながら、彼女のおびえた目をじっと見つめた。

 「かわいそうに、あんたまで手足を縛られてさ」と彼は言った。「すぐに楽にしてやるよ。これから俺といいことしようぜ」

 彼が女の子に手を出そうとしていることは明らかだった。私は全身をロープで縛りあげられているたので手も足も動かせなかった。娘が下品な男に手籠めにされるのを見せつけられるのは拷問に近かったが、私は傍観するよりほかなかった。

 彼女は、小刻みに体を震わせながら静かにうなずいた。

「そうこなくっちゃ」

モヒカンは意地悪そうな笑みを浮かべながら、彼女の拘束をしていたロープを解いた。そして、彼女の背後から抱きかかり、彼女の髪の臭いを嗅いだ。

「たまんねぇ、女子の香りだ」と言いながら、モヒカンは恍惚の表情を浮かべた。女の子は恐怖と憎悪に全身を震わせていた。そして、彼は彼女の胸を揉みしだきながら、彼女の股間に手を差し伸べた。彼女は膝から下を固く閉ざし、モヒカンの手を拒絶している。

「そう固くなるなよ」

モヒカンは再びナイフを彼女の喉元に近づけた。彼女の白い太腿が開くや否や、彼の汚らしい手が彼女の股間に覆いかぶさった。そして、その指が彼女の股間の上をパンツ越しに躍った。彼女は苦悶の表情で恥辱に耐えていた。

目を背けたい光景だった。無垢な娘が薄汚れて毛先が広がったハブラシのような頭をした男の欲望のなすがままとなっていたのだった。私は公言するのが憚られるような風景は大抵見てきたつもりだったが、この種のものはさすがに見るに堪えなかった。

「へへっ、いい子だ。奥の方でもっと楽しもうぜ」

男は女の子の背後に回ったまま、自らとともにを立ち上がらせ、私の視界から逃れて奥の暗がりに彼女を連れ出そうとした。私が囚われの身であったとしても、淫行の一部始終を私に見られるのはさすがに気が引けたのだろう。 

 女の子は立ち上がり、頭をうなだれたままで、男の動きに抗うようにその場にしばらくじっとしていた。

「おい、何をしている。こっちへ来いよ!」とモヒカンは彼女を急かした。それでも、彼女は身動き一つしない。私は彼女の表情が一変していることに気付いた。何かを心に決めたようだった。

 次の瞬間、彼女は、男の太腿を手で思いっきり叩いた。男は驚いて彼女から手を離した。そして、彼女は振り向きざまに男の目のあたりを拳で殴った。

「ぐぁ!」と男は手を目に当てて悲鳴を上げた。

さらに、彼女は大股開きとなった男の股間をしなやかな脚で渾身の力を込めて蹴り上げた。彼女の足の甲は男の睾丸に当たり、まるでそれを内臓にねじ込むように、強く垂直に叩き上げた。鈍い肉の音とともに、彼のその器官が砕け散ったかのように思えた。

「はぁあ

モヒカンは股間を抑えながら声にならない声を上げてその場に倒れこみ、泡を吹きながら気絶してしまった。

私は、しばらく目の前で起きたことがうまく理解できなかった。女の子が襲われそうになっていた場面と男が倒れている場面とがつながらなかったのだ。私が呆気に取られている間に女の子はモヒカンの胸元からサバイバルナイフを取り出し、私の体の自由を奪っているロープを一本ずつ切り始めた。

「あれ、護身術?」と私は彼女に言った。

「そうよ。空手道場に通ってたのよ」と彼女はロープを切りながら続けた。「いざというとき役に立つかなって思って。でも、驚きだわ。男の人って股間が本当に弱点なのね」

 私はそのとき、少年時代に友達と異種格闘技の真似事をして股間を蹴られたことを思い出した。男が金的を蹴られると呼吸ができないくらいのダメージを受けるのだ。私は痛みの記憶に思わず身震いした。そして、少しだけその場で倒れているモヒカンに同情したい気持ちになった。

「あんまりやりすぎると、過剰防衛になっちゃうよ」と私は彼女に言った。

「過剰防衛って?」と彼女は私に問いかけた。

「正当防衛のやりすぎってことだよ。逆に犯罪になる」と私は答えた。

「いやらしいことをするほうが悪いのよ」と彼女は言った。彼女の言うことはもっともだった。手を出す男のほうが悪いに決まっている。女の防衛本能の前では法律の理屈は無力だ。私は前言について少し後悔した。

 ようやく、ロープがすべて切れ、私は体の自由を取り戻した。女の子の機転により、我々

は千載一遇の逃亡のチャンスを得た。とにかくこの場所から抜け出さねばならない。そして、どこかに囚われている彼女の母も助け出さなければならない。とにかく、ここにこのまま居ても致し方なかった。

「少し様子を見てくる」と私は彼女にそう言って、部屋の出口を探した。壁のようになったスチール棚の向こう側に鉄のドアが見えた。私はドアの前に立ち、ドアノブを回してみた。重い抵抗感はあったものの鍵はかかっておらず、簡単にドアは開いた。

私は少しだけドアを開けて外の様子を見た。外は長い廊下になっていた。また、私たちが閉じ込められている備品庫とは違い、照明に明るく照らされ白の天井と床が際立っていた。壁には等間隔で同じような無機質なドアが並んでいた。

外の廊下はこれまでに見たことがないくらい長かった。端が数百メートルは向こうにあるように思えた。私はこの千里の彼方にあるような廊下の端に目を凝らした。すると、そこに何か動くものが見えた。さらによく見ると、それは二つのものからなっているらしかった。その二つの動くものが微かに揺れながらこちらに近づいて来ているようだった。どうやらそれは人のようだった。人が二人こちらに歩いて来ているのだった。男たちが何やら談笑している声も聞こえた。こちらに向かっていたのは食事から戻ってきていたデブとフランケンだった。それは非常にまずい状況であった。このままでは囚われの身に逆戻りになるのは目に見えていた。私は静かにドアを閉じ、女の子のもとへ戻った。

「食事に出た奴らがもうじき戻ってくる」と私は彼女に告げた。

「えっ、やだ、どうしよう?」と彼女は少し狼狽して言った。

「とにかく、身を隠す場所を探そう」と私は言ってあたりを見回した。室内は物に溢れているとはいえ、身を完全に隠すとなると十分な大きさのものはない。しかし、ここで簡単にあきらめるわけにはいかなかった。我々は奇跡的に一時の自由を得ているのだ。このような僥倖はそう何度も訪れるものではない。壁がだめなら、床や天井に何かないか、と思い天井を見上げた。すると、人が一人通れるくらいの小さなドアを天井に見つけた。幸いなことに、スチール棚をよじ登れば、ドアに近づくことができそうだった。目を凝らすと、ドアには小さな取っ手と鍵穴があり、鍵がかかっているように思えた。しかし、男たちはすぐそばに迫りつつある。ここはイチかバチか賭けるしかない。私は、モヒカンが手にしていた頑丈な懐中電灯を手に取ってスチール棚をよじのぼり、天井のドアの方へ向かった。そして、ドアの取っ手を握り、思い切りドアを上に押し上げた。

 ドアは何の抵抗もなく開かれた。これは奇跡だった。きっと誰かが鍵をかけ忘れたのに違いなかった。

「上に登って来て」と私は彼女に言った。

「やだ、怖い」と彼女は棚によじ登ることを拒んだ。

「大丈夫だよ。それに今は怖がっている場合じゃない」と私は棚の上から彼女に手を差し伸べた。彼女は躊躇しながら、スチール棚をよじ登り始めた。彼女が半ばまで登ったところで、私は彼女の方から腕のあたりを掴んで彼女の体を引っ張り上げた。

 スチール棚の最上段にいる我々にとっては、目の前のドアの上に広がる漆黒の天井裏が唯一の退路だった。

「とにかく、今はここしか出口がない。急いで」と私は彼女に天井裏に入るよう促した。

「うわぁ、真っ暗じゃない。こんなところ、絶対嫌よ」と女の子は上半身をドアの中に入れたところで、それ以上入るのを拒んだ。

「今は贅沢を言っている場合じゃない。とにかく上がるだけ上がろう」と言って、私は彼女の尻を天井裏に押し込んだ。そして、自分も天井裏に潜り込んだ。

 天井裏は廊下と同じだけの左右に長く広い空間となっているようだった。私は懐中電灯で辺りを照らした。鉄骨の柱が規則正しく並んでおり、いたるところにケーブル類が走っていた。空間の高さは中腰で歩けるほどもなく、赤ん坊のように這いながら進める程度しかなかった。それでも、逃げ場がないよりはずっとましだった。しかし、左右どちらも行く先は真っ暗で、右に進めばいいのか左に進めばいいのか皆目検討がつかなかった。ここは自らの勘に頼る他なかった。デブとフランケンがやってきた方向に進めば外に繋がっているに違いなかった。私たちは右に進むことにした。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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