前回の続きです。
今日は、さらに幼いころに体験した、
私の人格形成の上で重要だと思われることを
二つお話したいと思います。
一つは、小児ぜんそくで度々寝込んでいたこと。
私は、1歳の頃に、小児ぜんそくを発症し、
秋冬になると、決まって何回か寝込んでいました。
一度寝込むと、幼稚園や学校を休むわけですが、
その期間も1~2週間におよびました。
病気のせいで、自然と外で遊ぶよりも、
家の中で過ごすことが多くなり、
性格もより内省的になりました。
また、呼吸の苦しさから、幼いながらも「死」を意識し、
まだ始まったばかりの人生に、ある種の危うさを感じていました。
病気で死ぬことに不思議と恐れは感じなかったのですが、
心のどこかで、自分の生を「いつかは終わるかりそめのもの」と
受け止めていたような気がします。
こうして、一般的な、明るく元気な子供像からかけ離れた、
老成したようなある種の達観を持つような少年となりました。
(第2章で書いたように、思春期以降は、
肉体的成長から、ある程度のハツラツさを取り戻すのですが。)
もう一つは、弟の死です。
これは、周囲の人にほとんど話す機会はありませんが、
私には、2歳下の弟がいました。
おとなしくてグズだった私と違い、
明るく賢い彼は、周囲からとても愛されていました。
ところが、ある梅雨の晴れ間の夕方、
弟は突然、交通事故で無くなってしまいます。
私が6歳、弟が4歳のときのことです。
車の通行量の多い国道の、信号機がない交差点を渡ろうとしたところ、
大型トラックが我々の存在に気付くのが遅れ、
弟をはねて、巻き込んだのでした。
弟は即死でした。
私は、間一髪で死を免れたのですが、
手を引いて弟を救うことができませんでした。
その後、親戚や近所の人が集まり、
弟の葬儀は執り行われました。
参列者が口々に悔やみの言葉を両親に掛けていましたが、
私は、後ろめたい気持ちでそれを眺めていました。
「なぜダメな僕が生き残ってしまったの?」
そんな思いが、心のどこかでくすぶっていました。
この時を境に、弟は天上の存在となり、
私はこの世界に取り残されてしまったのでした。
しかし、最も身近な存在の死を見てしまった私は、
他の子供とは同じように人生を受け入れることが
できなくなっていたのかもしれません。
その後の人生で起こるさまざまなことが、
どこか嘘っぽく思えたのでした。
成長すると、死んだ弟のことを思いだすことも
まれになってしまいますが、
当時思ったことは、潜在意識に深く刻まれていたようで、
どこか世間とは一線を引くような態度が、
徐々に形成されていった一因となっている気がします。
昔読んだ、三島由紀夫の『天人五衰』に
「この世に属していない」という表現がありましたが、
(うろ覚えですので、間違っていたらすみません)
私の魂が「この世に属していない」という感覚が
ずっとありました。
以上、私の幼少期に経験した二つのことをお話しましたが、
こうして、厭世的な私のメンタリティーが形成されたのでした。