世界との隔絶(2)

前回の続きです。

今日は、さらに幼いころに体験した、

私の人格形成の上で重要だと思われることを

二つお話したいと思います。

 

一つは、小児ぜんそくで度々寝込んでいたこと。

 

私は、1歳の頃に、小児ぜんそくを発症し、

秋冬になると、決まって何回か寝込んでいました。

 

一度寝込むと、幼稚園や学校を休むわけですが、

その期間も1~2週間におよびました。

 

病気のせいで、自然と外で遊ぶよりも、

家の中で過ごすことが多くなり、

性格もより内省的になりました。

 

また、呼吸の苦しさから、幼いながらも「死」を意識し、

まだ始まったばかりの人生に、ある種の危うさを感じていました。

病気で死ぬことに不思議と恐れは感じなかったのですが、

心のどこかで、自分の生を「いつかは終わるかりそめのもの」と

受け止めていたような気がします。

 

こうして、一般的な、明るく元気な子供像からかけ離れた、

老成したようなある種の達観を持つような少年となりました。

(第2章で書いたように、思春期以降は、

肉体的成長から、ある程度のハツラツさを取り戻すのですが。)

 

もう一つは、弟の死です。

 

これは、周囲の人にほとんど話す機会はありませんが、

私には、2歳下の弟がいました。

おとなしくてグズだった私と違い、

明るく賢い彼は、周囲からとても愛されていました。

 

ところが、ある梅雨の晴れ間の夕方、

弟は突然、交通事故で無くなってしまいます。

私が6歳、弟が4歳のときのことです。

 

車の通行量の多い国道の、信号機がない交差点を渡ろうとしたところ、

大型トラックが我々の存在に気付くのが遅れ、

弟をはねて、巻き込んだのでした。

弟は即死でした。

 

私は、間一髪で死を免れたのですが、

手を引いて弟を救うことができませんでした。

 

その後、親戚や近所の人が集まり、

弟の葬儀は執り行われました。

参列者が口々に悔やみの言葉を両親に掛けていましたが、

私は、後ろめたい気持ちでそれを眺めていました。

「なぜダメな僕が生き残ってしまったの?」

そんな思いが、心のどこかでくすぶっていました。

この時を境に、弟は天上の存在となり、

私はこの世界に取り残されてしまったのでした。

 

しかし、最も身近な存在の死を見てしまった私は、

他の子供とは同じように人生を受け入れることが

できなくなっていたのかもしれません。

その後の人生で起こるさまざまなことが、

どこか嘘っぽく思えたのでした。

 

成長すると、死んだ弟のことを思いだすことも

まれになってしまいますが、

当時思ったことは、潜在意識に深く刻まれていたようで、

どこか世間とは一線を引くような態度が、

徐々に形成されていった一因となっている気がします。

 

昔読んだ、三島由紀夫の『天人五衰』に

「この世に属していない」という表現がありましたが、

(うろ覚えですので、間違っていたらすみません)

私の魂が「この世に属していない」という感覚が

ずっとありました。

 

以上、私の幼少期に経験した二つのことをお話しましたが、

こうして、厭世的な私のメンタリティーが形成されたのでした。

クロスドレッサー、自己探求家。 趣味で小説も書いています。 最近は、仏教と現代物理学の関連について研究しています。

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