私は、九州のある地方の街で
若い両親の長男として生まれました。
幼少期の私は病弱で、気持ちも繊細で、
同年代の女の子から心配される程、
弱々しい子供でした。
また、もともと我が弱い性格だったので、
いいところをいつも他の子供に
持っていかれてばかりでした。
そういう子供でしたので、
地元の保守的な大人たちから「男のくせに」と
言われるのがとても辛かったのを覚えています。
この時期の男の子は、
「外で元気に野球でもやっている」というのが相場でした。
ですので、小さな頃から私は心のどこかで、
「なんで自分は男なんかに生まれたのだろう?」と思っていました。
この時期の私を例えていうならば、「女らしい男の子」というよりは、
「男らしくない男の子」といったほうがよいかもしれないです。
そんな私でしたが、思春期になると、
ある種のコンプレックスに悩まされていました。
女の子が何か神聖不可侵なものを感じられ、
話をしようとすると、心の弱い部分を冷たく見透かされているような、
バツの悪さというか息苦しさのようなものを感じていました。
これは、少年期特有の自意識過剰とも言えますが、
この気持ちがだれよりも強かったので、
女の子には自分から声を掛けることもできず、
「特に今は興味がないからいいんだ」と自分に言い聞かせて
この問題から逃げ続けていました。
恥ずかしながら、少年時代は
まともに女の子とデートしたこともなく、
20代で恋愛のような感じになったことは数回ありましたが、
きちんとしたかたちで、女性と交際したのは、
30代に入ってからでした。
子供時代の自分の心理を分析してみると、
繊細であるにもかかわらず、異性を求める気持ちが
人一倍強かったといえるのかなと思います。
実は求めることと、回避することは表裏一体で、
求めても得られないかもしれないという恐れを、
自分への言い訳で埋め合わせていたと言えます。
また、異性の「求め方」も他の男の子とは
違っていたのかもしれません。
それは、単に性欲の対象というだけでなく、
「美しく不思議な女性という存在を感じたい、
できれば自らそのような存在になる程に」という
独特な欲求に基づくものでした。
それは、深層心理では、
「本来、自分も同じような存在であるべきだ」
と思っていたからです。
それが私の美意識。
本当は私も光り輝く資格があるのだと
どこかで思っていたのでしょう。
今世はつまらない男として生まれたのですが、
前世はそのような存在だったのかもしれません。
そのような葛藤を抱えながら、
私の少年時代は過ぎてゆくのでした。