今日は哲学的なお話をしたいと思います。
私は、幼少期からずいぶん哲学的なことを
考えていたような気がします。
様々なことに対して、疑問を持っていました。
たとえば、自己と言う存在がよくわからない。
視界には「子供」と呼ばれる存在が数多く映る。
そして、鏡を見れば、目の前に「子供」とよく似た姿が映る。
手を挙げれば、鏡の中の「子供」も同じように手を挙げるので、
ひとまず、彼は私「らしい」と認識する。
彼は「子供」の姿をしているので、私は「子供」ということになる。
しかし、何か腑に落ちない。
鏡を見ている自分と鏡に映る自分とは
どこか断絶しているような気がする。
また、部屋に散らかしたおもちゃをそのままに、外に遊びにゆく。
遠く離れた場所から部屋の実在について考える。
部屋のおもちゃはそのままの形で存在しているのだろうか?
実は、私が見ていない間はどこにも存在せず、
私が見ることによってのみ存在しているのではないだろうか?
こんな妄想のようなことをよく考えていました。
今にして思うと、かなり鋭い哲学的直観を
持っていたように思えますが、
当時は当然ながら言語力に乏しく、
誰ともこのような疑問を共有できないため、
ひとりでモジモジと考えていました。
そのような空想的ばかりしていたので、
私はひどく内省的で、
なかなか他の子供とも打ち解けられずにいました。
私は一人、隔絶した世界に生きていました。
今でも、周囲の人たちと同じ日本語で話しているにもかかわらず、
なぜか「言葉が通じない」と思うことがよくありますが、
もしかしたら、それは世界との断絶の中で成長してきたからかもしれません。
(あるいは、年とともに先入観が強くなって、
柔軟な想像力が失われてきているのかもしれません。)
そのような孤独が、私の原点の一つでもあります。
そして、私はある種の寂しさの中で
成長してゆきます。